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大学院で博士号を取るまでの5年で得たこと

博士号を取得しました。これで、大学に4年間行って、さらに5年間大学に残って、いわゆる学歴というものをコンプリートしたことになります。
この追加の5年間にどんな意味があったのか、5年間という長い期間を投じで、果たして何を得られたのか、自分なりに考えてみたいと思います。

自分の中でのこの5年間の価値

「理解」とは、何か?

まず、自分の中でこの5年間はどんな価値があるか、振り返ってみたいと思います。
大学4年間を終わった時、自分の中では一つ大きな悩みがありました。それは、「理解」というものが何なのか、さっぱりわからないことでした。
小学校から大学入学まで、色々勉強をしてきましたが、いつも、なんとなくわかっていればよくて、そうすれば試験である程度点が取れて、それでOKでした。でも、大学に入って、研究というものを知って、自分の中ではなんとなくわかっているつもりでも、それでは相手には伝わらないし、何か価値を生み出すことができないことを知りました。

では、この5年間で何を得ることができたでしょうか。
まず、議論や質問の多い研究室に身を置いたことで、「理解」というものを、見つめ直すことができました。「理解」というものは、人によって違うかもしれないけど、自分にとっては、
自分でささっと手を動かしてやってみた時に、同じようなことになる、ということ
なんだろうと思います。

もちろん、場所が変われば、人が変われば、「理解」は変わる。周りの人が考える「理解」の意味に注意しながら、その環境に合わせた、その集団に合わせた「理解」を構築していくことが、大事なのでしょう。

あなたにとって、理解って、なんですか?ぜひ教えてください!!

自分は、どうやって問題に向き合うのが、好きなのか?

研究というのは、気になることを調べて、何を自分が調べるかを決めて、自分が解決すべき課題を考え、自分で問題設定をして、解決して、論文にする作業です。
この過程では、自分が解決すべき課題を選ぶことができるし、問題設定を柔軟に変えないと解けないし、やり切らないと論文にできません。

その中で色々な方向でもがいてきた中で、自分がどうやって問題に向き合うのが好きなのか、少しずつ見えてきました。

自分が好きなのは、
複雑な現象で、その中からやりたいことができる方法を探す問題で、
その複雑な状態を、問題設定を立てて、シミュレーションなどで検討して、可能性を思いついて、失敗する。
失敗を受けて、色々なツールを使い、様々な可視化を行い、問題設定を柔軟に変えながら、何度もなんども挑戦する。
そして、最終的に、やりたいことができるような方法を見つける。
そんな問題なんだ。

研究をやって博士号を取るというのは、きっと2つのことが重要で、
専門としていることへの好奇心・理解と、
自分なら問題をこうやって解く、という自分なりの問題解決の方法
なんだろう。

自分は、どんなことを楽しいと思うか?

研究以外でもいくつか大きな気づきがありました。
自分はきっと、どうやってやるかわからないものと向き合って、どうやってやるかをマニュアル化して、ツール化することが好きなんだ。
例えば、発表スライドの作り方とか、質問の仕方とか。

5年間で学んだ汎用技術

そのほか、博士課程の5年間では、きっとどこでもやり方を、単純な方法で構築していくこと役立ついろいろな技術が学べました。それをいろいろリストアップしておきたいと思います。

試行錯誤の技術

発表を聞く技術
発表の際に、予測を立てながら聞く。そうすることで質問が出てくる。予想を立てることで、その人の研究を追体験して、より深い学びを得たり、発表者のためになるフィードバックをできたりできる。

やりたいことを、単純な方法で構築していくこと
何か複雑なことをやりたいと思った時に、それを単純な作業の積み重ねとして表現し直して、単純な作業をやっていき、最終的にやりたかった複雑なことをやること。まだ少し経験が足りないけど。

何か思ったこと、判断したことを、数字を使った表現にかえること
”こうだろう”とか、”違う”とか、”似ている”とか、"大きい"とか、色々なことを研究をやっていると感じます。このような思ったことは、数字を使った表現に置き換えることが重要です。数字を使った表現に置き換えることで、誰もが同じことを感じられるようになるからです。これは、議論をする時に役立ちます。ただ、”違う”というだけだと、そこからすれ違いが起きて数十分無駄にすることがありますが、それを避けられます。また、後で、状況が変わった時も、数字を更新するだけで、判断を更新でき、思い込みを避けることができます。思い込みは、往々にして時間を無駄にする原因になるので、これはとても大事なことです。

伝え方、特に、うまく図示すること
先ほど、"大きい"とかを数字を使った表現で置き換えることを書きましたが、その時には、数字の信頼性を考えることがとても大切です。
"大きい"と思ったけど、その数字が実は全然信頼できないものだった、とかだと判断を誤り、これも時間を無駄にする原因になります。
数字の信頼性を考えることはとても大変です。時間もかかります。でも、大切な判断を誤るリスクを考えたら、数字の信頼性を追い求めることは必要です。

伝え方、特に、うまく図示すること
同じことを伝えるのでも、言葉では全然伝わらないけど、図を使うとスッキリ伝わることがあります。逆に、図を使うと誤解を招くこともあります。また、図を使うことで何か先入観が生まれてしまうこともあります。伝えるというのは大変です。
図を作る工夫、そして、図を使って発表を作り、相手に伝える経験。
大学院5年間でいろいろ学べました。

(以前記事にした後、あまり更新していませんでした。時間があれば更新します。) 

この5年間は、なんだったのか? 

この5年間、時に孤独の中で、いろいろ試行錯誤を重ねてきました。5年後、10年後、振り返った時に、自分はどう思うのでしょうか?
きっと、何か、後悔すると思います。費やした5年間という月日は、非常に長かったので。
でも、そもそも大学院に進学する時、博士後期課程に進学する時、"どうせ後悔するなら、やりたい方に進みたい"という思いを持って進学し、それに見合ったものを自分の中で得られたと思います。

思い返すと、霧の中を進んでいるような時間が多くありました。このnoteは、そんな霧の中で足掻く姿を、文字にして残しておくために始めました。

確かに霧の中だったけれども、自分の中で、確かに価値のあるものに気づくことができました。どんな道に進むとしても、「自分は、こうやって知識を生み出すのが好きなんだ」「自分はこういうものを作りたいんだ」というものは、たとえ役にたたなくても、なんらかの形で自分を照らしてくれるでしょう。それが自分の中での博士号の価値なんだろう、そう思っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。私たち大学院生にとっては、多くの人に実情を知ってもらうことがなによりの支援になります。普段の会話やSNSで大学院生について話題にしていただけると大変ありがたいです。