ビーガン3年目になったので、改めて食について考えてみた
ビーガンは好き嫌いなのか
ご飯を作りながらふと考えていた。
ビーガンという概念がなかったら、私は好き嫌いが多い人ということになる。
例えば、子どもがピーマンを嫌いというのにはきっと理由があるはずだ。でもそれをうまく言えない。苦いとか美味しくないとかそういう言葉になる。それで大人は納得しないので、嫌いなものもちゃんと食べなさいとなる。
大多数の大人はピーマンを食べられないほど苦いと感じてはいないだろう。自分も通ってきたであろう道なのに、今自分が苦くないものを苦いと言われても、それを思い出せなくて食べなさいと言ってしまう。社会に出てから食事の場面で困らないようにという、親としての優しさからなのだろうとは思うが。
私がそうだったのだが、子どもでもピーマンを好きな子がいる。友達の家でご飯を食べたとき、ピーマン食べれて偉いわねと言われた。その時は嬉しかったが、今思うと少し不思議だ。食べ物と人の相性もあるし、今はこれ食べたくないというような気分もある。
ビーガンになる前は両親も肉魚を食べていたので私も食べていたし、好き嫌いは本当に何もなかった。ビーガンになってから実家に帰ると、なんでも食べれるように育てたんだけどね、と母が言うことがあった。やはり好き嫌いとして捉えていたのだろうか。
最近は以前より理解してくれているようで、小さい頃お肉をあげても1切れでもういらなかったみたいだし、あなたにはそのほうが合っているのかもね、なんて言葉もくれた。嬉しい。
いきなりビーガンになろうとするとしんどい。
無理なダイエットでリバウンドしてしまうように、好きだったもの食べたいものを急に全てやめてしまうと反動が大きい。なにより頭で「ビーガン=良い」「ビーガンにならなきゃ」というところからだと体がついていかない。頭は周りに惑わされて、思ってもいないことを始めたりすることがあるが、自分の1番深いところに問いかけて、返ってきた答えが本当の答えなのだ。それは無視しないであげてほしい。理想と今の自分のギャップが苦しいかもしれないが、今の自分は今の自分でしかない。
もしビーガンの食生活をやってみたいという人がいたら、少しづつ減らしていくことをおすすめしたい。何から減らしていくかは人それぞれだが、牛肉・豚肉・鶏肉→魚→加工食品→牛乳・ヨーグルト→卵→出汁の順が良いと思う。
私は18歳頃から5〜6年かけて少しずつ少しずつビーガンになった。きっかけは自分の手で鶏を締めて捌いたことだ。大きな反動は今のところ1度だけあってカツ丼を食べたが、アトピーが酷くなったこともあり、その後はまたビーガン続けてる。今はこれで調子が良い。
no meet mondayというのもある。
言葉通りお肉を食べない月曜日ということだ。
1日でも、3食食べている人は1食でも、お肉を食べない体験をしてみると、変化に気付けるのではないだろうか。
ビーガンの人は細身な人が多いねと言われたことがあった。確かにそうかもしれない。
ただそれだけではなく、ビーガンをきっかけに食に意識をしっかり向けているのではないかと思うのだ。生活もより土に近い暮らしだったり、大地や天体の法則に従った農だったり、100年後の地球や宇宙のことまで考えた生き方をしている。そうすると体も動かすし、見えない存在と繋がったり、エネルギー循環も良くなる。人の本来の姿に近づけば近づくほど、暮らしも食もシンプルで無駄がないものになっていくのだ。私はそういう暮らしがしたいので、今できることから試している。
ある時、胡麻の選別をした。
あの小さな胡麻をひと粒ひと粒指先で、殻やゴミと分けていくのだ。そして焦げないように極弱火でじっくり煎る。
まず胡麻という植物自体初めて見たし、見慣れているあのつぶつぶはそういえば種なのだったなと、ハッとさせられた。
この体験以来、お皿についた胡麻のひと粒も捨てられなくなった。贅沢に胡麻和えにしようと擦って、すり鉢に残ったり和えたボウルに残った胡麻…。そのまま流せるわけがない。
機械での選別かもしれないが、売られている胡麻のパックにゴミひとつも入っていないのは実はすごいことなのだ。
人もこの地球や宇宙の1部だ。
私が嬉しいとか楽しいとか、プラスのエネルギーで満たされていることで、地球や宇宙のためにもなる。そのために食や暮らしをより本来の姿にしていきたい。
そして体から出るもののことを考えると、入れるもののことも必然的に考える。排泄物もそうだし、吐く息、発する言葉、見えない「氣」も。
土に還してその畑で育った作物をまた自分が食べると思うと、体に不自然なものは入れたくない。土のことを考えてもそうだ。農薬や化学的な加工をされたもの、遺伝子操作されたものは土を狂わす。そういうものを体を通して土に還したくはない。
1日分の野菜が取れるジュースは1回で飲めるが、1日分の野菜を1度に食べることができるだろうか。レタス10個分の食物繊維が入ったサプリを飲むのは簡単だが、レタス10個も1度に食べられるだろうか。
現代の人間は忙しいし、時間に追われている人が多すぎる。お金は貯まるかもしれないが、大切なものを失ってはいないだろうか。本当に大切なこととはなんだろうか。
私はビーガンでない人を非難したり、ビーガンを押し付けることはしたくない。考えや価値観もそうだが、押し付けられた事から良い結果は生まれない。物もそうだ。
ビーガンやってみたいという人がいれば、先にビーガンを実践している者としてなにか力になれたら嬉しい。そしてお肉が大好きで毎日食べているという人を、食生活が違うからといって嫌いになることはない。好きなもの美味しいと感じるものは様々だし、その人がその時美味しく感じるものを食べるのが1番だ。
ただひとつ、もし自分がお肉を食べるとしたらジビエかなと思う。スーパーに並んでいるお肉は誰かが屠殺して処理されたものだ。自分の手で殺せないのなら食べない。食べたいのならそれだけのことをする。お肉を食べる、動物の命をいただくというのは、ものすごいことなのだ。
本当のいただきますの意味を知っているか。
祈るということが特別なことになっているが、日常に祈りはいくつもある。観えていない感じていないだけだ。
見えないものにこそ目を向け意識を向ければ、不自然なことはなくなっていくのではないかとさえ思う。
これはひとつの意見であり考えなので、だからどうするということはない。でもこの記事を読んでなにか気付いてくれる人がいたら嬉しい。
ビーガンという概念があることだって、知らないのと知っていてそれを選ぶのとでは大きく違う。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
この後も良い時間を。
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