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たった1人の友達とは、まったく話があわないという話。

私には、現在、週に一度は必ず電話をくれる友達が1人いる。
多い時は、週に2度も3度もかけてくれる。そして、1回2時間は喋る。
これという用事はない。用事もないのに2時間も喋るなんて、よほど仲がいいんだろう、気があうのだろうと、思われるかもしれないが、彼女とは、びっくりするほど気が合わない。

なぜ、気が合わないのに、週に何度も、何時間も喋るようなつきあいを、10年(!)も続けてこれたのか。
私もわからない。淳子にしかわからない。なぜなら、私から電話したことはなく、ほとんど淳子からかかってくるからだ。そして、ひとだび電話をとれば、私は、全然気乗りしなくても、平気で長時間喋れてしまう。今、思えば、気乗りしない相手、気乗りしない話題なんだから、さっさと関係を断っておけばよかったのだ。それを、もともと、極度のお喋り人間だったばかりに、つい、誰でもいいからべらべら喋りたくなったのが悪い。友達がほぼいなくて、正直、喋る相手に困っていた私が悪い。
私がスラスラ調子よく長時間喋るものだから、淳子は、きっと私がとても楽しんでるように勘違いしたのだと思う。ずっと今まで。

そうなのだ。
淳子は、とてもいい人で福祉精神に溢れており、「困ってるひとの手助けになることが一番の幸せ」というような立派なひとなので、どちらかというと、自分のためというよりは、友達がいなくて引きこもってる私のために、電話してくれてる感じなのだ。だから、やっぱり、ぺらぺら喋ってあたかも喜んでるような誤解を与えてしまった私が悪い。私が楽しければ、淳子は大満足して嬉しくなる。そういうひとなのだから。

ちなみに、淳子が電話をかけるのは、私以外にも数人いるようだ。
さすがに、各人2時間も3時間も話してないだろうが、定期的に、まんべんなく電話をかけ、近況を聞き、相談にのり、励ましたり慰めたりしてるみたいだ。もう、ほんとに私設の福祉厚生局のようで、頭が下がる。
こんないい人いない。それは、間違いない。なので、私は、本当の親友になれたらいいな!気が合わなければ、合わせに行けばいいのだ!と考え、頑張って、淳子との共通点を探った。どういう育ち方をして、どういう考えをもち、どういう生活をしているのか。そして彼女の好き嫌いを探った。年も近いし、田舎も近いし、子供も同級だし、何かあるはず!と思った。が、ほんとにない。探せば探すほどない。
いや、共通点はたくさん見つかったが、好き嫌いが真逆。わかりやすいところで、淳子の好きな俳優やアイドルは、見事に私の嫌いなタイプ。私の好きなひとは見事に淳子の嫌いなタイプ。芸能人から作家、YOU TUBER、有名人から素人まで好き嫌いが真逆。映画や小説も同じ。ファッションや食べ物の好みまで真逆。好きな人を奪い合うことは絶対なさそう。それにしてもこんなに気が合わないことってあるんだな。と思った。

そんな私たちの会話というのは、とてもお行儀がいい。
当然だ。あらゆる面で好みが真逆なのだから、深いりすると危険。どんな話題でも相手の推しを非難することになる。なので、相手の機嫌を損ねないように最大の注意を払って話すことになる。

最近、「ほんとにそれでいいのか」と思うようになった。

私のだいっ嫌いな、タレントの動画を「これ見て〜〜とっても面白いし、いいこと言ってる〜」といって、LINEで送りつけられるということが増え、心から腹が立つことも増えた。私が、その人のことが嫌いなのを知らないのだ。言ってなかったから知らないのだろうが、それだけではない。
ていうか、タレントそのひとよりも、面白い!と笑うツボがもともと全然違ってるよね私たち?私はそれに気づいてるから、自分から、それを共有しようなんて絶対に思わないが、ひょっとして、それも知らない? 私も同じツボで笑うと思ってるのだろうか?これまで一度も同じもので笑えなかったのに?

そんな時でも、私は正面きって怒れない。
折角、私のために送ってくれたのに、なんだか申し訳なくて。お礼をいって、見なかった詫びをいれる。10年という慣習のせいもある。
寛大で優しい淳子は、気にしないでといって、動画の説明をしてくれる。


わたしたちは、相手の意見や思考が「それは間違っている」と強く思うようなことがあっても、絶対に、非難するようなことはしない。どんな意見でもとことん尊重し、「それはそれでいいよね」というスタンスを貫く。そうしないと、つきあっていけないからだ。
そこまでしてつきあわねばならない理由とはなんだ。
そんな上っ面ばだけ、ご機嫌伺いだけの会話が、本当の友達にふさわしいか? 10年も、ビジネス会話してるのって、やっぱりおかしくないか?
わたしたち、そもそも、なんで、ビジネス友達なんだろう。
大親友とはいえなくても、週に2時間以上も話すような友達ならば、もうちょっと、深いりして「私はその人嫌い」「私は、その意見は間違ってると思う」くらいのことは、言えたほうがいい。いや、言いたい。当然、自分も言われたい。どうだろうか。

カウンセラーとか介護師さん、看護師さんだったら、ほんとに上っ面だけでいいと思う。あれは業務で治療だから。近況を報告しあって、お互いに喋りたいことを喋って、そして、なにがなんでも相手の是を是とする。間違ってない、それでいいと思う。頑張れ応援するよ!と。
でも、親子がそうするように、本当に心配してるなら、時には、叱ったり怒り狂ったりするのが本当だろう。嫌われてもいわなければならないことはいうだろう。

もしかしたら、淳子側は、わたしたちが気が合わないことに気がついてないのだろうか。
もし、そうだとして、それを私が指摘したらどうなるんだろう。「わたしたちって、昔から全然気が合わないよね」と。
「えっ」と驚くだろうか。それとも、「そうだね。でもそれはいっちゃいけないことだよ」というだろうか。
なんのために、いい話だけを喋り続けるのだろうか。わからなくなる。

来週の電話で言ってみようかな。なんだか、こわい。







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