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何度でも失敗できる社会。何度でも挑戦できる社会。

まだまだ寒い毎日ですが、ベランダに洗濯ものを干すルーティンの中で、春の気配をうっすらと感じています。そろそろ花粉も飛ぶのかなぁ。
本日は、新聞やニュースの出来事からの雑感です。

「〇〇でなければだめ」という思い込み

新聞で「コロナに感染して大学受験ができなければ人生が変わってしまう」という高校生の投稿を読みました。

確かに、大学に入って学ぶことには大きな意味があって、そのために受験があるけれど、人生はいつだって不確実だし、どんなに真剣に慎重に準備していても躓くことはあります。

そういう予測不可能があることこそが、まさに「人生」です。
残念ながら、つるりとまっすぐに進める人生はおそらくどこにもありません。

「〇〇でなければだめ」な人生なんて、ないんだよ。
人生は“変わること”が前提にあるんだよ。
転んでも躓いても大丈夫。そこに成長があるんだよ。

その切羽詰まった文章の書き手に伝えたいなぁと思いました。

躓きや失敗が許されない環境

無差別に知らない誰かを傷つけるという、悲しいニュースも続いています。
犯人はしっかりと己に向き合い、罪を償うべきだと思っていますが、一方で、彼らが犯行に至るまでの背景についても気になっています。

報道で見る限りですか、さまざまな理由による難しい環境の中で、躓きや失敗が許されないという状況は相当に厳しいものだったのだと思います。おそらく、視野を広げる機会や人的資本が少なかったことも想像されます。

人は誰でも躓きます。
道も、いつも一本ではありません。
回り道こそが、教えてくれることもあります。

本来であれば、誰の人生においても、躓きや失敗は当たり前のこととして、許され、受け入れられるべきものであるはずです。

挑戦は何度でもできる

私は、40歳で大学院に入り、43歳で法人を設立しました。
自腹で通う学生は貪欲です(笑)。どんな言葉も、どんな出会いも学費の分だけ元を取らねば! と思い、人生で一番真剣な学生生活を送りました。

回り道ではありましたが、私にとっては、今が学ぶのに一番良い時期だったのだな、と卒業を控えてしみじみ感じているところです。どんなことも、始めるのに遅すぎるということありません。

挑戦はいつでもその時がベストのタイミングなのです。

何度でも失敗できる社会

話を元に戻しますが、受験や就職の失敗も人生だ! 大丈夫! 何度でも挑戦だ! と私自身は思うのですが、社会の価値観では、甘すぎると批判されるのかもしれません。

だとしても、今の社会の価値観は誰にとっても厳しいものではないでしょうか。その厳しさ故、いろいろなところから悲鳴が聞こえます。

一人ひとりの人生が大切にされ、価値観が尊重されれば、躓きも、失敗も、回り道も一つの生き方でしかありません。生き方が受け入れられれば、自分や誰かを傷つけるようなことはしなくていいはずです。

寛容な社会。本来的な意味で多様性を受け入れる社会。
そうした社会の価値観を、そろそろ私たちは作り直さなければいけないのかもしれません。自分たちの言葉と行動で。

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