第二次世界大戦を取り扱うメディアについて思うこと
夏になると、戦争についての番組が多くなる。
ドキュメンタリーやドラマ、映画など。
それについて、少し違和感を感じるのは私だけだろうか。
私は、戦争について、夏以外の季節も考えていたい。
秋も、冬も、春も、季節を問わず、「第二次世界大戦とは何だったのか。」「人々はどういう暮らしや行動をしていたのか。」「これから起こさないためにどうすればいいのか。」先人たちから学べることを土台に考えていきたい。
もちろん、原爆投下や終戦を迎えた日が8月にあるから、その日を振り返ったり、その日について語ったりするというきっかけによるものであろうことは推測できる。
しかし、戦争は、秋も、冬も、春もあったはずだ。
夏にだけ、「思い出そう。」と語りかけられているようで、さみしい気持ちになる。
「一年中ずっと考えまくれ。」と言っている訳ではなく、もう少し万遍なく、良い意味で日常に近い形で、戦争について頭の中に置いておきたい。
みんなそうなのかもしれない。みんな一年中頭の中に、戦争について考える部分はあるのかもしれない。
だから、私が意見を申しているのは、メディアについてだ。
私が想像するに、「夏は戦争についての番組を作らねば」という見えない常識がメディア界であるのではないかと思う。
その謎の「〜であらなければ」の呪いはどうやったら解けるのだろう。
夏に放送した方が視聴率が取れる(終戦記念日などのきっかけがある、休みでみんなテレビを見ている)というマーケティングに基づくものなのだろうか。
力を入れて作る作品だから、夏休みに放送し、色んな人に見てもらいたいという意味なのだろうか。
恒常的に考えるべきことが、刹那的にだけ想い起こされることに違和感がある。
どうやって伝えれば良いか分からないが、少し寂しく悲しいブルーを帯びた違和感が私にはあるのだ。
メディア界全体に少しはあると思われる共通認識について意見を申したものの、自分では知り得なかったことをテレビや映画で伝えていただき大変ありがたく、作り手の方々には、いつも心から感謝している。