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時を超えるひじいさん
何かの不備で60年前に亡くなった母方の曽祖父名義のものを
亡き祖母や母に代わって、
私たち姉妹が書類で相続放棄することになった。
田舎の旧い家なので、
代々本来の相続人は家の跡継ぎと指名された1人だけだった。
その他、法定相続人にあたる皆が
60年前からそれが当然のことと
誰も権利を主張することなく納得済みのはずなのだが、
なんかの手違いで法的にクリアになってなかったらしい。
びっくり。
その関係で司法書士から詳細な相続関係図が送られて来た。
結構な人数が私と同じ立場にいるらしく、
たかが書類とはいえど、
とりまとめに労力がいるのは想像できた。
私はこういう書類を見るのは初めてだったし、
母が存命のときにサインしていれば私たちにおハチがまわってくることも
法律のプロが戸籍から書き起こしたこの詳細な家系図めいたものはみなかったのかと思うと
三世代前からの時を超えた手紙のような、
不思議な気分だった。
相続人関係図は、
曽祖父母が生み出した子孫たちと法的な配偶者すべて、
いわゆる被相続人と、
法定相続人の出生年月日と死亡年月日が名前の横に旧漢数字で書いてある。
母の世代、曽祖父の孫世代で、
曽祖父の後に亡くなったのは母が初めてだったので、
ひ孫世代の相続人は、母の子である私たちだけだったが、
実際の血縁の家系図は私のはとこにあたるひ孫も、
私の子どもたちのような玄孫もならべてみたら結構いるはずだ。
曽祖父は明治19年、
曽祖母は明治24年生まれ。
曽祖母は18で初めての出産、
40代で末子をお産しているようだった。
生前の祖母から聞いた話だと8人は産んでるはずだった。
曽祖父より先に亡くなった子ども(祖母のきょうだい)は記載がないが、2人(女の子)夭折してるはずだった。
血縁者の生き死にの記録にしては不完全だが、
一人一人の
生年月日が知れたのは、良かった。
「みんな、うまれた時は赤ちゃんだったんだな」
と実感できた。
特に赤ん坊の写真のない時代の明治大正の人たちも、
生まれたときは
全く無垢な可愛い赤ちゃんだったことを生年月日でイメージできる。
生まれた年だけでなく、
個人が生を受けた月日があるだけで、
赤ちゃんが生まれるその瞬間を
感じられるような気がした。
祝福されて、
幸せを願われて、
名付けられて、
良く生きてほしいと与えられて、
良く生きたいと人生の岐路を
選びつづけて、
それでも人生は幸せばかりではない。
選択する前提が何かゆがんでいると
はからずも次世代に残すような、
業を生み出すこともある。
その中で優しさをつなぐこともできるけど。
赤ちゃんは等しく可愛い。
人間はずっと優しくて愚かで、
強くて弱い。
私もその枝葉の1人。
「名付けられた葉」の一枚。
沢山の子孫を生み出した
ひじいさんも、ひばあさんも、
同じく
名付けられた葉の一枚だった。
つながってきた命を考えれば
当たり前のことなんだけど、
これまでは何か霧の中の言葉だけのイメージしかなかったのに、
急に鮮明に個人の生誕をイメージできたから、
誕生日って、
不思議だなと思う。
高知に来て曽祖父のことを
「ひじいさん」と呼ぶのが新鮮だったので
あえてひじいさんと呼ぶ。
ひじいさんが時を超えて、
私に贈り物をくれた。
法的な遺産は要らないけど、
私はそれを相続しようと思う。