「自分のダークサイドを認める」のは、自分の人生の顛末を誰のせいにもしないため。
題名が全てなのだが。
人生の顛末を、「誰かのせい」にして生きるのは
私はしたくない。
ただ、悟ったふりをしても
無意味だ。
誰かを責めたくて「ダークサイドを眺める」のではなく、
むしろ全てが逆で、
私は
この身の上にある全てを、
私自身と私に関わった人たちの環境の
後ろ暗いところも全て
腹の底から存在を許すために、
これから現実の作業するのだ。
一個一個、書いて、それを確認する。
地味だし、すぐに変わらない。
でも、やる。