忘却の手前、再構築の「記憶」を「つくる」
わけあって、
母のふるさとの土地について調べています。
大したわけではなく、
「母の生まれた、先祖からの土地について知ったことを
自分たち姉妹で共有したい」
という個人的な欲求です。
自分のなかでは父の故郷である兵庫も、
母の故郷である岩手も等しく愛情があるのですが、
実際土地を踏んで、
現地のことをよく知る親類に接した回数が圧倒的に岩手側が少なく、
その情報の不均衡さに自分は全く無力だと
無意識に子どもの頃から思い込んでおりましたが、
思うところありこのインターネット時代を利用して、
母が育った土地の記憶を埼玉よりはるかに遠い高知県にて、
母の血と意識を継いでいく私たち三姉妹の中で、どうにかして再構築していこうと決めたのです。
勿論、ネットを使ったとて、調べきれないことの方が多いのは承知です。
ただ、ネットがない時代に現地の詳細な地図を手軽に見ることは簡単ではありませんでした。
詳細な地図を見るだけで、
断片的な記憶に頼った話が、より立体的にかわっていきます。
たとえ現地を訪れるにしろ、事前に詳細地図をみていれば、見つけられるもの、感じられるものも変わってきます。
そういう意味で、身体が覚えていない土地の記憶を掘っていくのに、インターネットは誠にありがたいものです。
それでも、「家族の歴史」は伝える意思と、
伝え手がいなければ、
忘却されるしかありません。
忘却も世の常と執着しないのも全然アリだと思います。
思い出して個人が傷つくような記憶なんて、捨ててもいい。と、個人的には思います。
古い記憶に囚われて人生が重くなるなら、それに価値はありません。
ただ、
ただ惰性で忘却して消えてしまっては勿体ない、
家族や土地の記憶や歴史もあるのだと思います。
伝えていくことで、
「あやまちを繰り返さない」ことも
少なくはないのかもしれませんし。
(人間はそれでも繰り返しますが)
私は父が子どもの頃に泳いだ川の名前を、お盆にご先祖さまを見送る川の場所を知っています。
それがどこの町からどの海に注いでいくのかも知っています。
母の土地のことも、同じように知りたい。
ただそれだけ。
今日、インターネットで調べて初めて知りました。
母のふるさとを流れる川は青森県内で新井田川と合流し、
八戸市の新井田大橋をくぐって、
太平洋に注ぎます。
内陸の川ですが太平洋に注ぐだろうことは知っておりましたし、
明治の三陸津波の時、母のふるさとの方まで遡上があったことも伝え聞いてましたが、
流れの距離感がわかる、ということは
なんともスッキリするものです。
こうやって、母たちの世代の忘却の手前で、
離れた場所から記憶の肉付きをつくっていく作業を
はじめました。
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