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幼い頃食べた串揚げの味は一生
実家に帰省して親が買ってきてくれた
スーパーの惣菜のコロッケを食べた。
一瞬で私の生まれた町にあったお肉屋さんの
「ウズラ卵の串揚げ」の味を思い出した。
似ている。
埼玉の東、小さな町の
路面カウンタースタイルの小さなお店。
私が通っていた幼稚園の通園路沿いの踏切のすぐそばにあって、好物を買ってくれるのは一緒にいる大人。
自分で買ったことはない。
幼児の小さな私は、カウンターの背が高くて
お店の人の顔も声もよくわからないまま、
男の人かも女の人かも覚えていない。
お店の名前も自分で読めないまま、
気がついたらお店は無くなっていて、
私も15で町からいなくなった。
でも、あのウズラの卵の串揚げの味は
ずっと身体に残ってるんだ、と
久しぶりに似た味のコロッケを食べて実感した。
お店の名前も、お店の人がどんな人だったかも覚えていない。ウズラの卵の他にどんな品があったかも。目の前にショーケースがあるにも関わらず。
そもそも惣菜屋だったのか、お肉屋さんだったのかも定かではない。
言葉を交わした記憶もない。多分挨拶はしていたんだろうけど。
子どもの視野は狭い。
見ようとしなければ見えないものの方が多い。
大人に促されてようやくものの区別がつく時期は思ったより長い。
そして家族以外の大人にふとした話を自分から話しかけにいく子どもも少数だろう。
お店屋さんのやりとりは大人同士のことだった。
でもきっと「ウズラの卵の串揚げ」を喜ぶ小さな私に優しい気持ちを向けてくれてたんだと信じてる。そういうのも一緒に食べていたはずだ。
「よう覚えてるな」と父に言われた。
父の中では30代の一瞬に存在した店の一つだったろう。
おそらく大人から見れば記憶などないように見える小さな頃なのだろう。
美味しいと感じる味が一緒なら
多分一生忘れないんだと思う。
大人と子どものモノサシは本当に違うものだ。
もう一度食べたいと願っても食べられない。
もう既に、私の中の「食べたいもの」の半分くらいはそうなっている。
でもそういう記憶があるだけ、
私は幸せなのだと思う。