南国土佐にも雪が降る
まさかの積雪だった。
今季最後の厳しい冷え込みと
予想していたが、
夜から雪が降った。
氷ははるものの、
例年積雪には至らない高知平野部の冬は、
昨日今日の冷え込みで
今季はもう終わりを告げるところだった。
積雪とはいっても
このくらいなのだが、
関東でも珍しい、粉雪、パウダースノーだった。
(あ、これが粉雪だよ、と子どもたちに教えるのを忘れた)
粉雪は、溶けにくい。
溶けにくいが、
何せうっすらなので、
朝日にあたる場所はすぐとけた。
ちょうど下の子が産まれた年の2月に
47年ぶりの大雪というやつが、
奥多摩の山に近い東京都下の私たちが住む街をおそい、
その凄まじさは、
降り始めからほんの1時間少しほどで、
車が動かせなくて近所からの帰宅が出来ず、
遭難直前になる人が
身近でも続出したほどである。
ちなみに50万人都市の街中の話である。
我が家は当時車がなかったので
遭難騒ぎにはならなかったが、
運悪く当時幼児だった上の子がその大雪の最中に
急に発熱し、
その発熱の仕方が急だったせいか、
初めて熱震戦(ねつしんせん)、熱せん妄(ねつせんもう)という症状を起こしてしまった。
熱のため布団で寝ていると突然文字通りガタガタふるえて、目を見開きながら
「タエコタエコタエコタエコ」と呟くのである。
(当時、ジブリのおもひでぽろぽろをビデオでよく見ていたせいであろう)
しかもちょっぴり半笑いで。
この子が起こすけいれんは、
無熱性であるものの以前乳児のころ経験があったのだが、
それとも様子が違う。
初めての子というのは
本当にその身体の異常が
親にとっては未知なことばかりである。
かかりつけ医に連絡したが、
電話ではなんともならず、積雪が凄すぎて診療所前のアーケードも壊れているらしい。
(医者先生は市外から電車とバスで通っていたはずだが、どうやって出勤したのだろう)
念のため救急に行くことを勧められた。
救急車を呼ぶことになったが、
救急車も動けない。
タクシーも勿論動いてない。
平野部で、
大人の膝上まで一気に積もってしまったのだ。
雪は止んでいたものの、雪国でないため、
自治体の除雪車などはない。
優先される道路以外は住民の自助の雪かきによってでしか通行できないのだ。
うちの子のふるえなどは熱によるものとわかっていたし、すぐにおさまったが、
本当に救急な人は、
あのとき大丈夫だったのだろうか。
とりあえず未経験の症状に不安MAXの私と夫は
いつもは無闇に親を怖がらせるようなことを言わない
かかりつけ医の
念のため受診という言葉で
覚悟を決めて、
片方が子どもを背負い、
片方がスコップで雪かきして歩くという方法で、
普段は徒歩で12分程度の救急病院まで歩くことにした。
道なき道を雪かきしてあるくのも、
雪道を当時20キロあるかないかの我が子を背負ってあるくのも
大変だった。
40分かかっただろうか。
覚えてないが、大分かかった。
しかしそれでも、
徒歩でたどり着ける場所に救急があるなど大変恵まれていた。
着いた頃にはもう子どもの熱のしんどさはピークを超えていたようで、
意識もはっきりとしていた。
(インフルエンザだった)
熱震戦である、と教えてくれたのは、その病院のお医者さんである。
帰宅してから子どもは
速やかに本人の身体の治癒力で回復した。
身体が大きくなった今はもうほとんど発熱しないが、
上の子は急に熱があがるとせん妄状態になる、という個性があり、
今まで色んなせん妄バリエーションを経験した。
思春期でぐっと小言をこらえることもあるが、
そんなところまでよくぞ成長してくれた。
そんなことを今日の雪を見て、思い出した。
今見る雪は、
はかない美しさを愛でるばかりである。
クリスマスみたい、と下の子が言った。
粉雪のかたまりを素手で握りしめて、
幼稚園に走っていった。
幼稚園の子らは、
先生が園庭のプールのカバーの上に集めた
わずかな雪にも狂喜して
遊んでいた。
子どもたちは
自然を愛している。
本人たちは愛しているともしらないだろうが、
その姿を見れば、
表情をみれば、
わかる。
駆け出していくのだ。
自然からの贈り物がわかると。
人間の感覚より
自然の理に近いのが、小さな子どもなのだ。
私たち大人も、かつてはそうだったはずだ。
あの感覚、思い出せるといいな、と自分では思っている。