与える人と叶える人
一昨日。家でネットのニュースを見ている時、
ふと目に止まったのが
20:45ごろからISS、国際宇宙ステーションが
東京上空を通過する。という記事でした。
時間を見たらちょうど20:00前。
羽田空港があるものの、
近くには土手があるので
空を眺めに行ってみたいと子どもたちに伝えたら
子どもたちはすぐに
『いいよ!行こう!』と言ってくれました。
きっとISSが何かも知らないであろう
うちの子どもたち。
興味があるかないかどころか、存在自体を知らないかもしれないのに
私の気持ちにすぐさま共感と尊重で
夜空を眺める時間を叶えてくれました。
実際、土手について空を眺めたら
見たい方角の方は雲も結構いて
その姿を見ることはできませんでしたが、
『見に行きたい』を叶えてもらって
その場に行って夜空を見上げた時間は
私にとってとても幸せな時間になりました。
そう。私は『ISSを見つけに行くこと』ではなく
『ISSを見るために夜の時間に空を見に行くこと』を叶えてもらった事が
とても満足だったんです。
今回は見つけられなかったけど
また行きたいな。
次はどこに行こうか?
もっと考えて見つけに行きたいねって
帰り道に子どもたちと話せたことも幸せのカケラです。
大人になると。。
与える人が多くなる気がしませんか?
まぁ。。与えるというのは立派ですが。。
その立ち位置は上下関係だからですかね。。
与えるというのは言い換えれば
管理しているということですから。。
与えるというのは与える側の気持ちがとても大きなものですよね。
人に与える事で自分の自己価値を測る人もいるぐらいですし。。
前にこんな事もおしえてもらったことがあります。。
↓↓↓
与えるというのは、与えられた相手側のいい反応も含めてという事が多い。。
与えられたら、与えられた側は存分に喜んで
与えてくれた人を喜ばせるまでがセット。
これを聞いた時は
かなり驚きましたが同時に納得もしました。
そうかもしれないなぁって。
その点、『叶える』は相手の気持ちへの寄り添いというか。。
相手の望みに対して。。っていう感じがします。
今回の子どもたちなどはそうですね。
ISSを見に行きたいという私の気持ちに
寄り添う事で、空を見に行くことを叶えてくれましたから。。
相手の気持ちに寄り添って動く事が
叶えるということなのかもしれませんね。
そう思うと。。
アダルトチルドレンは
虐待や精神的苦痛をされて自覚のない人は必ずと言っていいほどいうマインドで
『親への過剰な感謝』
『親への崇拝の心』。。
これはいかに『与えられていたかの感謝』なのかもしれません。。
それなのに彼らは病んでいる。。
自分の道や生きづらさにつまずいた感覚があり、
何か足りないような気持ちにモヤモヤとしているんです。。
『自分は恵まれていた』と信じながら。。
きっとそれは
与えられていたのかもしれませんね。
確かに与えてもらうのはありがたいんです。
意地悪されるより全然ありがたいですが
心を育てるのは
与えるという管理や支配ではなく
気持ちに寄り添ったり
ともに叶えていくような、共感の心なんだろうなと私は考えてます。
私の気持ちに寄り添って
思いつきに近いような願いを叶えてくれた子どもたち。
私はとても幸せな夜を過ごしました。