自分の過去から現在
自分のことを思い返したり、
相手の気持ちを想像したり、
心理学を学びながら
ひとつひとつのことに向き合っていくと
自分の浅はかさや
自分の知識の無さを痛感したり
この知識にもっと早く出会っていたら
自分はちゃんと立ち回れたんだろうかと
悩んでしまう時があります。
もっとわかってあげたかったし
もっと寄り添いたかったと思う日もあります。
口ではうまく説明できませんが、
確かに私も不安を大きく持っていて
愛着でいう不安型やアダルトチルドレンでいうイネイブラーに当てはまるんですけど、
苦しいのは私だけなのかな?と疑問になるんです。
生きづらさという中では、私の不安型で、
苦しさは苦しいんですけど、
毒親や依存症。。回避型や恐れ回避型にも別角度の苦しさがあることを知って、
それは調べないと私には想像もできないというか
私とは全く違う切り口なんですけど
原点は同じというか。。
わたしはいつも、私を受け止めて欲しい
私を見て欲しい。
私に気がついて欲しいし、優しくして欲しい
みたいに思ってたんですけど、
受け止めるのは私の方だったんじゃ??
しっかり見るのは私の方だったんじゃ???
気がついて優しくするのは私のやることだったんじゃ???
みたいな感覚になるんです。
その辺は私が『たら、れば』のような考えがよぎるところです。
もっとこうだったら。。
私がこうできれば。。
自分が傷つかずに済んだかもしれないし
何より相手を落ち着けることができたかもしれない。。。と希望を抱いてしまいます
この希望がほんと厄介で
境界線が曖昧になるんですよね。
希望というか。。期待というか。。
でもちゃんと向き合ったこの知識や
周りの人やカウンセラーさんの力を借りて
自分で行動して身につけたものは
過去知っていれば良かったことかもしれないけど
これからの自分の身を守るためには
すごくいいと思ってます。
不安型ではあるし
イネイブラーではあるけど
私は弱虫ではないので
ちゃんと向き合えることができる自分で良かったです。