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短所と長所は表裏一体


昔。。人に言われたことあるんです。
優しいが長所なんだけど
環境違うと長所が短所になるよねって。。。。

自分で言うのもなんですけど。。
私。。かなり人に好かれます。
それは私が人に傷つけられる痛みを子どもの頃から知っているからだし、
親をはじめ、人の機嫌をとることで
自分の居場所を求めてきたからです。

めちゃくちゃ空気を読むし
嫌なことは言わないし
明るく、いつも笑顔で、とにかく明るくて優しい。

これが私に会った人が言ってくれる、
私のイメージです。

人付き合いに悩みがあるように見えないし
こんなに傷ついている人間にも見えないでしょう。。

それは、私の周りを取り囲む環境が
『対等』である場合『のみ』です。

私の気持ちや、私の優しさを
受け取って、返してくれる、この循環がうまくいく、対等な関係、尊重しあったり
共感し合える人間が周りにいる時『だけ』なんです。


ひとたび、環境が変われば。。
新しい仕事をはじめた時や
新しく出会った人と過ごすことが多くなった時。。
その人が上下関係の人なら。。
勝ち負け思考の人なら。。
マウントを取る人なら。。
人を踏み台にできる人なら。

私の長所は一気に短所になり
ボロボロになるまで摂取され、
利用されて、怒りをぶちまけられたり
相手の不機嫌を受け止めたり。。
相手の責任を取るようになり、
それでも私が足りない。私がダメだと言われるようになります。

私は何ひとつ変わっていないし。。
私は私のままなのに。。

私を幸せにして、周りの人の笑顔を見ることができた私の長所は
一気に短所となり私に大きな影を落とします。


花が土が腐っていれば育たないように。。
長所を長所として伸ばせる場所に
自分が立っていなければ
私のいいところは根っこから腐ってしまうんです。


このことに気がついたのは最近です。

ずっと雑草のように
土を選ばずにどこでも咲こうと頑張っていたと思います。
私さえ我慢すれば
私がもっとうまくやれば。。
私に足りないところがあるなら治すから。。
私が黙っていれば。。
どんなに傷ついても最後にハッピーエンドならいい。。


数年前の私の思考です。

物語の最後がハッピーなら。。
そう思っていましたが。。
間の物語は?っておもいません?

最後がハッピーエンドは素敵だけど
なら間ずっと不幸でいいの?
2時間の映画ならまだしも。。
人生はエンドまでの間が長すぎない??って。


信じられないですよね。
愛着障害。。。。。
こんなことにも気がつかずに
ただ、つらいところから救ってくれる王子さまを待ってるわけです。

幸せになるのもハッピーエンドも。
救ってくれる王子さまありき。。

その希望というか期待というか。。
簡単に言えば『他人軸』です。


自分の幸せも
自分の悲しみも
自分の価値も
ジャッジするのが他人だと思ってる。

私の長所も短所も、それがいいとこなのか悪いところなのかを他人任せにしてしまってるということです。


たまに私が話題に出す『境界線』という言葉。
人間関係のすべてを
『自分』と『他者』に分けて考えるということなんですけど。。

長所も短所も他人に決められるのはダメだなと思います。。

長所が生きてるなって思う時は
自分が幸せでしょうし、安心してると思います。

短所に囲まれてる時は
自分は不幸ですし、危険を感じてると思うので


長所も短所も両方うまく抱えたまま、
そのまま人付き合いができる環境に
自分の足で身を置くっていうのは
とても大切なことだなと思います。

表裏一体なら。。そのまま
自分が安心する毎日になるように。。

傷つける土からは離れて咲くのもいいかもしれません。

私は自分が見捨てられるのが嫌で
自分が傷つくのが嫌だからこそ
相手を見捨てることができないし
相手から離れることができない状態に
なってしまいやすいのですが。。

『自分の人生』をもっとしっかり見たいなって思います。
どんな自分として今日を生きたいか。。
どんな自分が好き?の問いかけを
自分自身にする癖をつけると
どの道でも。。。
それが平坦でもイバラでも。。
自分の納得した道を自ら歩むことができるのではないかなと思ってます。


私もまだ挑戦中です。
一歩ずつね。
がんばります。


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