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恋の記録

好きな人ができた。

片想いをした。

リョウオモイになった。

お別れをした。


単純な流れはそう。なんだけれど、この中身ぱんぱんに、たっっくさん思い出が詰まる。

自分から別れを選んだけれど、好きだった気持ちは残っているし、たのしかった思い出も温めたまま。

未練とはちがう、自分を形成する過去として。


仕事先にいらっしゃる90歳のおばあちゃまは

「好きならいいの、それだけでいいの」

「好きと思える人がいるって本当にいいねぇ」

と、言っていた。

そうかあ、と、思った。

別れようと決めた理由を人に話すと、

「好きならいいやん、考えすぎ」

と、言われた。


不安を感じるたび離れていかないでと願われ、愛が足りていないと感じれば責められ、もっとこうしてと要求される。

たかが恋人なのに

と、思う。

自分のさみしさを埋めるために、人に寄りかかりすぎるのはどうなのか。

過度な依存は、わたしとあなたの境界線を超えてしまっていないか。

恋人に母性を求めるのはどうなのか。

恋人のなにがそんなに偉いんだろうか。

恋人のなにがそんなに特別なんだろうか。

友達とはちょっぴり気持ちが違うことも、ときめきの種類が違うことも経験上わかる。

大切にしたいなと思った人が、たまたま、恋愛対象だった。
恋心に気づいた相手が、たまたま、あなただった。

くらいの、ちゃんと1人の人間として見合える関係性に憧れるのは、理想が高すぎる?


好きなんだけれど

好きなんだけれども

女でも、異性でも、彼女でも、恋人でもなく

パートナーとして、"わたし"と向き合ってくれる人ではなかったから。

恋人としての相手からの要求が、負担になった。

恋愛ごときのために、その人のためだけに、どうして自分を否定され変えなきゃいけないのか。

それが、ふたりのために、ならばいくらでも変えてやるが。

好きだけじゃ、どうしようもないこともある。

結局は、人と、人やん…

と、恋愛にうまく熱を注げない性なので、

おなじくらいの、ぬるさをもっている人との出会いを、どうしても願ってしまう。

そして、わたしみたいなヤツは、誰かと生きていくなんて叶わないのだろうかとも思う。

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