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④諦めきれない夢と、決断の代償 社会人の医学部受験



妹の家に身を寄せてからしばらく経った頃、私たちはコロナ禍の影響で金銭的に苦しい時期を迎えました。

私は貯金ゼロの状態で家を出たため、妹に生活を支えてもらうしかありませんでした。
姉として情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そんな状況で、私は無気力でいる暇などなく、すぐに近所の小中学生向けの塾で
塾講師のアルバイトを始めました。

ですが収入は十分ではなく、私たちは袋麺を一袋だけ分け合ったり、
家庭菜園で育てた野菜や豆苗で食事を賄ったりして生活を続けました。

恥ずかしながら、これほどの節約をしたのは人生で初めての経験でした。
それでも妹は優しく接してくれて、厳しい生活の中でも笑顔の絶えない日々を送ることができました。

塾講師をしながらも、正社員として働けるよう就職活動も並行して行いました。

しかし、以前関わっていた分野の求人は少なく、
なかなか内定を得ることができませんでした。



そんな中、妹に恋人ができました。その方はとても明るく前向きな人で、私ともすぐに仲良くなりました。
ある日、自分の夢が叶わなかったこと、そして諦めたことを話したところ、
「そんな志を持っているのに諦めるなんてもったいない」と言ってくれました。
そして、「お金は後からどうにかなるから、もう一度勉強してみたら?」と何度も背中を押してくれたのです。

その言葉を聞いて、私は少しずつ自分の本心に気付いていきました。

やっぱり私は医師になる夢を諦めたくないのだ、と。

親からの資金援助がなくても、やりくり次第で医学部に通う方法はあるはずだ。

そう思うと、心が晴れやかになり、もう一度夢を追える嬉しさで胸がいっぱいになりました。

しかし、現実は厳しく、塾講師だけの収入では目標には到底足りませんでした。

そこで、「何でもいいから正社員になろう」と再び求人を探し始めましたが、
正社員として働くと勉強時間が確保できなくなるというジレンマに直面しました。



そんなある日、妹とその恋人が

「最近、おじさんとご飯を食べるだけでお金をもらえる仕事があるらしい」

と提案してきました。
私は耳を疑いながらも興味を持ち、いろいろと調べてみることにしました。



私は①でも触れたように、学生時代はほぼ不登校で、友達もいませんでした。
恋人ももちろんできたこともありませんでした。

そんな私がこのような仕事をできるのか、怖さと不安でいっぱいでした。

それでも、妹の恋人が妹の部屋に来ることが増えて、私は次第に居心地の悪さを感じていました。「きっと邪魔だと思われているだろう。早くここを出なければ」という焦りも募っていました。




そして、私はついに、自分を売るという決断をしてしまったのです……。



(次回 自分自身を売る覚悟で挑んだ“初めてのデート”)

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