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こころの病気について

先日、くまちゃんが第10回目になるパペットカウンセリングのインスタライブをしておりました。
大ファンの私はもちろんうっきうきでいつも視聴。
夜8時なので娘と見たり、何かをしながら見たり、かと思ったら画面とコメントを追っては自分もコメントしたり。

なんせくまちゃんのインスタライブ、大好きなのです☺️

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さてその日は、インスタライブ前からコメントがついていました。
統合失調症と診断された娘さんをお持ちで、藁にもすがる思いでくまちゃんにたどり着いた模様。

ここに辿り着くとは相当センスがあるとしか言いようがないのですが、お母様の悲しみと痛み、そして焦りがコメントからひしひしと伝わってくるようで、なにかよいヒントが得られるといいのだけど…と思いながらインスタライブを見ていました。

そして当日くまちゃんは、統合失調症というのはね、そういう状態よ。とお答えしていました。

ほかの視点からも相談者さんにお声をかけていたのだけど、その「状態」という言葉で私の中でひとつスコンと腹に落ちるものがありました。

不思議な雰囲気の叔母

統合失調症と聞いて、私が思い出すのはまず叔母。
私が物心ついたときから叔母は精神病院を出たり入ったりしていました。

結婚もしていませんし、両親つまり私の祖父母と同居。
私の母の妹ですから母より若いことは確実なのだけど化粧っけも全然ないし、母とは違ってなんだかむっくりした体型だし、キリスト教をガン推ししてきます。

表情はだいたい困り顔。私を見るとにんまり笑顔。
でもたまにめちゃでかい声で笑いだしたりしゃべりだしたりするのでびっくりします。

小さい頃この人のことを私は不思議な人だなと思っていました。
祖父母と一緒に暮らしているのでそもそも頻繁には会わないけど、会うといいしれない雰囲気を醸し出しています。
叔母が嫌とか合わないとかそういうのを超えて、不思議。
母と似ていないのに姉妹というし、仕事をしている様子でもない。
いつも祖母や母になじられて、うなだれて、私にてへぺろみたいな顔をする。
大人の威厳みたいなものがゼロで、かといって決して子供というわけではない。

おばちゃんはおばちゃんというカテゴリの大人なのだろと思っていました。

ある日祖母の家に行くと叔母がいない。
おばちゃんは?と聞くと発作が出て入院中だと。
入院中だから、帰りにお見舞いに行こうという母。

私も小さい頃は入院していたから、人がお見舞いに来るってことはとってもうれしいことだってわかる。
おばちゃん病気だけど私に会えてよかったってよろこんでくれるといいなと思って訪れた病院は、私が思っていた病院と全然違っていた。

照明もめちゃくちゃ暗くて、開け閉めのたびにガッチャンと鳴る分厚い扉があって、その扉のすぐ横にまた分厚い扉のお部屋があって、私たちはそこに通された。

ベッドのところに行かなくていいのかな?と思っていたらおばちゃんが現れた。
なんか全然病気に見えないし、まあわりと普段通り。
にこにこしてて、あら〜よくきてくれたわねって言ってくれたので、よかった〜おばちゃんいつも通りだねって思っていたら隣で母が嗚咽を漏らしながら大号泣しだした。

「なんであなたが…こんなことに。。。うぅ…」

それは悲痛な声でした。

手のひらに顔を埋めて泣いている、私が家の中で聞いたことのない母の声。
叔母はポカンとしているのだけど、私は母の変容具合に恐怖を感じている。

「どうしたの、姉さん」

と、笑みをたたえた顔でやたら明るい声のおばちゃん。
この時私は叔母の病気がどうやらあたまの病気らしいということを悟った。

叔母は精神分裂病、いまでいう統合失調症という病気だった。
ふだんは人畜無害な感じでぽやぽやしているけれど、ひとたび荒れると母と叔母の弟である叔父でもかなわないくらい暴れることがあり、そういう時は入院するのだという。

なぜそんなことになるの?と聞いたら
お薬を飲まないからよ。と母が答えた。

そんな病気なんだね。
おばちゃんはひとりであそこで入院してかわいそう。
お家にいたらすきなことができるんだから、ちゃんとお薬をのめばいいのにね。

くらいのことを返した気がします。

たぶんそれから40年くらい経った今。
祖父母もこの世を去り、叔母には帰る家もなく、発作が出ても出なくても関係なく病院に入院しています。
母は相変わらずたまに面会に行き、頭や心のことより体のことを尋ねるようになっているらしい。

ここまでにたくさんのやらかし事がおきていて、逐一ではなくても私も見聞きして関わることが多かった。
その病気というのは、とてもひとりで抱えきれるものではなくて、確実に家族全員が関わることになるのだということもよくわかる。

なぜそうなってしまったのかの理由ははっきりとは教えてもらえないのだけれど、叔母が若い頃にきっと心に大きな無理を抱え込んでしまったのだろうなとしか推測できない。

5人兄弟の中で、一番かわいくて一番優秀で、一番性格も良かったのに。と母は言う。
私は叔母のそんな若き日の姿が1ミリも想像できない。
統合失調症というのは人を変えてしまう病気なんだとつくづく思っていた。

ある日突然会えなくなった友人

その昔、たいそうかわいくて男の子たちから非常にモテて、どこにいってもかわいいかわいい言われて、一緒にいると私は透明人間になってしまったのかな?と感じるほどにかわいくて注目を集める友人がいた。
どうして神様はこうもあからさまに不平等をつくるのだろうかと思わさざるをえない瞬間はたびたびあったけど、それでも彼女のかわいさとキャラクターが私は大好きだった。

私は彼女と同じ学校になったことはないのだけど家も近いし趣味も近くて、20代の頃だいたい彼女と一緒に遊ぶ時間が多かった。
宮崎に住んでいるのに免許を持っていないという相当ツワモノの彼女は私が車で迎えにいくといつも喜んでくれて、爆音で音楽をかけながらドライブしては悩みや愚痴を聞くという時間をよく過ごしていた。

かわいいのだけどとってもまっすぐで、自分はバカだからという割には仕事を本当に真面目にこなして、センスもあるし気取らないし、心から大好きだった。

私は建築の仕事をしていた時に忙しくなって一切の友人と遊びに行く時間をカットして働いていたので、その時の彼女がどういう状態だったのかよくわからない。
だけど体調不良から仕事をやめて、彼氏ができたと聞いて、その後ばったり見かけて、やたらとやつれている彼女をみて心配になって、無理なダイエットをしているんじゃないの?と聞いたらぽつりと言った。

「私ね、病気なんだって。統合失調症っていうんだって」

私はその瞬間にものすごい怒りを感じてしまって、そんなわけないよ!と言った。
彼女は外を出歩けているし、普通にメッセージだって送れる。
つい先日までデパコスのカウンターでバリバリ働いていた。

ねえ、それもしかして他の病院に行ってみたら、違う診断が下ったりするんじゃないの?
一生薬を飲んで、一生入院とか、やめてよ。
あなたはおばちゃんとは、違うよ。

そうやって言ったんだけど、彼女はうっすら微笑みながら困り顔をしていた。

その後彼女の家の近くで数回見かけて、見かけた時はうれしくて声をかけるんだけどなんだかどんどんお肌も荒れてくるし元々細かった体型もガリッガリになっているし、話が上滑りするようで続かないなと感じていた。
そのうち携帯電話が使えなくなり、連絡が取れなくなった。
あるときどうしても気になって家に行ったら、長年住んでいた実家はすでに引越しをしていた。

彼女のお母さんの職場を知っていたので、ついでがあった時に思い切って声をかけてみたらものすごく疲れた感じだった。
あの子は元気なんですか?ときいたら、ちょっと眉を寄せて、うん元気よって言う。
電話番号を教えて欲しいなと言ったら、前と変わってないから電話してみたらって、私の目を見ないで言う。

この人たちも悲しみの淵にいるんだということを察してしまった。
彼女の社会復帰はもう、絶望的なのだろう。

あの統合失調症に足をふみいれそうになっていた、あの瞬間。
私になにかできることがなかったんだろうか。
よく彼女を思い出しては、せめて体はすこやかでいて欲しいと祈っている。
たまには調子がいい日があって、それが今日と明日でありますようにと願う。

人はふとしたことで壊れてしまうということを小さい頃から叔母が私に見せてくれていた。
人から羨望の眼差しを向けられるほどの、どんなにたくさんのギフトを神様からもらった人でも、人の心はひとたび折れてしまうということを友人が教えてくれた。

それもその人の選択なのだからと言う人がいるかもしれない。
だけど私は、そんな最悪な選択をしなくても学ぶべき手段はいくらでもあるのじゃないかと思っている。
学んで、そこからなにか気づきを得て、そしてまた前よりもひとつ器を大きくして成長していくのであればそれは避けるべきでない困難かもしれない。
けれど統合失調症と診断されてしまったら叔母や友人のようなことが起こりうる。
それを治す、ということではどうやらお医者は機能しないらしいから一生付き合っていかないといけないということがわかった。

私の母はものすごくドライで、ほんとにこの人は私とおなじ血がながれているのかなって思うくらいのサイコパス気味人間なのだけど、その母だったからこそ業務的に妹のことをこなしている感がある。
これが仲良し家族で思い出がいっぱいあって、心に思いを馳せてしまうほどのまっとうなご家族だったら悲惨でしかない。

だからくまちゃんが「状態」って表現していたことは、ものすごい希望だと思った。

もしかしたらまだその状態がぼんやりとしているのならば、パペットカウンセリングやウェルビーイングな活動を通じて、その状態から早く抜け出せるのではないかと。

もしもそれが叶うのならば、いま人に言えない不安が大きかったり、自分ってちょっと変なのかもしれないって思った早い段階で病院でなくパペットカウンセリングという方法を知ることで、何週間か先の病院の予約待ちの間に試せるかもしれない。

もしもお母さんたちがパペットカウンセリングという解決法を知っていたら、違和感を感じた時にすぐに試せるかもしれない。

そうしていたら、あれなんか気のせいだったかもって本人が早めに自分を取り戻すかもしれない。

決して病院に行ってはいけないとか、薬をやめてとか、飲まないでとか、そういうことを言っているのではないのです。
ただ、薬を一生飲み続けたなくないなっていうご本人の意思があるのであれば(私の叔母にもそれがあったので、こっそり飲まずに発作を起こしていたらしい)このかわいいお人形で寄り添ってあげると、お薬よりも早く心が癒されてご本人が喜ぶはずです。

もしかしたら統合失調症かも…と思ってこのnoteに辿り着いた方や、ご家族の解決法を求めていてこれをご覧になってくださった方は、日本全国で開催されているくまちゃんのパペットカウンセリングセミナーや講演にご出席されてみてください。

浅草、本日

富山、10月5日

宮崎、10月11日12日

山口、10月17日

名古屋、10月20日

鯖江、11月9日

名古屋、11月19日

もしもご本人が難しくても、ご家族だけがお話を聞かれても、とても癒されることと思います。
私自身が主催しているイベントは10月の宮崎バスツアーですが、こちらは宿泊も可能なので遠くからのお客様も受け入れられます。

もしも気になることがありましたら、事前にお問い合わせください。
人数や日程などの申し込み内容は適当なダミーでも構わないので、メモ欄に気になることを記入して送ってくださいね。

叔母にも友人にも、きっと戻れるタイミングがあったと思う。
大切な方のその分岐点を目の当たりにした時に、パペットカウンセリングを知っているのといないのとではその方の未来に大きな差が出るのではないかと思います。

当事者さんでなくても、なにか癒しの手法を求めていらっしゃる方。
それから心についていろいろな視点で学びたい方。
私のように、近しい人の支えになれたらと思われる方。
ただ単に興味がわいた方。

しかめっ面な顔をしてしかくいお部屋にあつまるセミナーとは違って、とってもとっても楽しくってあったかいカウンセリングメソッドです。
けれどもちょっとやそっとでは得られないすごい気づきがあることでしょう。

この情報を必要としている方々に、どうか届きますように。


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