ミミコで泣きたい
PCの充電器を常に差していたら、充電器(外部からの電気供給)なしでは動けなくなった私のPC。
そして、そのせいでバッテリーが肥大し、目も当てられぬ姿になってしまった。これはなんだか、身につまされるPCの話。
人が指差し笑えど関係ないのさ!
飛び方を探そう
君が欲しいものなら欲しがるべきなのさ!
間違いなんてないからね
例えば、「ミミコ、味になる」の歌詞の一節。
講釈垂れているようでも、これが我々でなく、大切な友人の子に送られた言葉であれば、かなり受け取り方にも違いが生まれてくる。
そして、自分ではない誰かに向けられた歌詞であるということに気が付くとたちまち、自分の為の歌詞のように錯覚してしまう不思議。
学校じゃ教わんないよ
正しさなんて歳を取れば取るほどわからなくなる
いや、錯覚ではないんだけれども、どうしても、裸の言葉をダイレクトで受け取りに行くというのは、難しいだろう。そこまでの責任は負えないと本能的に回避してしまうのはしょうがないのだろうか。仕事でも、そういう場面をたくさん見てきた。
世にも奇妙な物語で「言霊」をテーマにした話があったが、言霊って確実にあるとは思うけど正体はなんだ。あれは何がそうさせているんだ。心か、脳か、耳なのか。
言葉の深淵に触れることによって覇権を握りたいとかは別に思っていない。おそらくその威力に怯えて、言葉を理解することで身を守ろうとしている。あくまでも防御。
「言葉の恐ろしさを知っていますか」と会社の後輩に言われてしまったが、その発言悪くないけど、そこから先に進まないといけないと思う。中島みゆきみたいに。
人を貶して喜ぶ奴なんて本当は弱いのさ
笑って許せるよね!
確かに、自分宛じゃないと思うだけでだいぶ違うことを伝えたい。
味になる なんだっていつかは
刻みこまれた傷跡さえ生きた証になるぜ!
大丈夫さ!
”味”なんて、ほしいと思ったことないけれど、味になるのであればそれはそれでいいか、とも思わないけれども、生きた証になるのはわかるんだけども、俺たちが欲しいのはいつだって「大丈夫」という言葉なのかもしれない。言わなきゃ始まらないし。
今更、何か思うことは実際なかったりする。ただ、こういう考え方の大人に見守られて育ったミミコはどんな人になるのだろうか。それを想像するのは悪くない。
もし、そこで、ミミコに何かを言われたら、泣くかもしれない。泣きたい。
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