ある夜
大学生終盤、人生の路頭に迷った風の私は、まさに自分探しの旅をすると言わんばかりに東南アジアを周遊して死にかけたり、バンドを結成したり、日雇いバイトでその日暮らしをしたりしていた。
わざと単位を残して留年したら、5回生の前期は休学して就活をし、あとは無理して卒業もしないのに4回生の時点で書き上げた卒論を提出するのみで終わるはずだったが、”予想していた”事態が起こった。
所属ゼミの教授が、”3本目”の論文執筆に向けてゼミ活動に励むように、とサイボウズからメッセージを送ってきたのだ。
そもそも、大学の、所属学部において学部3回生で論文を執筆するゼミはうちを除いて他にない。周りからは「ブラックゼミ」だと言われた。そうなのかもしれない。
本来3回生で専門書の輪読、「三商ゼミ」と呼ばれる他の商業大学との合同ゼミ発表会を経て、ゼミ旅行なんかも行っちゃいながら、ただの忍耐力試しのような卒論を執筆し卒業する、というのが既定路線であるにもかかわらず、輪読なし、三商ゼミ参加なし、成果物は論文2本のみ、普段のゼミは論文の進捗報告と、フィールドワーク(田植え、稲刈り、伐採、釣りなど)のみ。
せっかく大学に入ったのに、それらしい勉強もしていなかった私は、何とか”元を取りたい”という考えがあった。特にモチベーションも作らず、いったんその環境に飛び込んである程度強制されれば何かしらにはなるだろうと、今思えば不遜な態度であったなと思う。臨む態度くらいは真面目ではあったものの、そういう心持ちでは意義のある論文が書けるはずもなく、先生はあの性格でよく研究指導してくれたし、我々を最後に、しばらくはゼミをやらないことを決めたのも頷ける。
終盤は大学から役が回ってきて、”不登校”の大学生と、その保護者との面談も請け負ったり、現在の学生の現状を目の当たりにして、先生がどれ程失望していたのかは想像がつく。客観視ができるようになると、あの時素直には出せなかった先生への感謝と、ある種の同情の気持ちが表れてくる。
今日たまたま、『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』を観た。それで思い出したことがある。
ゼミ生が私と、もう一人になった最後の年、念願かなって一度だけ、先生と私達2人の計3人で近くの居酒屋に飲みに行く機会ができた。無類の酒好き・愛煙家の先生を誘うことは本来容易だが、こちらの気持ちが整うのに約3年かかってしまったのだった。
何かの拍子に先生から読んでる本を聞かれて、その時ちょうど太宰とか三島を読んでる時期でそう答えたら、
「お前は太宰と三島、どちらが好きか」
と問われた。
その頃は小説以外にも『不道徳教育講座』とかを読んでいて、三島由紀夫がこの映画に示されている様な”格”というか、纏っている雰囲気みたいなのに影響された私が今は三島ですかねと答えると、
「あいつはナルシストだから私は嫌いだ。あれを読むくらいなら太宰の『新ハムレット』を読め。あれを読むまでは大学を卒業できないと思え。」
と言われたのだ。即座に『新ハムレット』を読んだことは言うまでもない。
それ相応の心積もりで、どうにか共通の話題を見つけようと出した一手だったが、その思いは敢えなく散った。結局最後まで、私は先生と満足のいく会話、即ちそれが意味するのは、先生と対等に話せるようなことが、実現することはなかった。
あの時、実際のところ、私は三島と先生を重ねていた。「三島が好きである」ことを伝えることで、無意識に先生への尊敬の念を伝えようとしていたのかもしれない。その為にその返答は私の予想を外れていた。しかし意外であったと同時に、仮にだからこそ嫌いなのかと思うと、先生も人並みにそういった自意識があるのだと、妙に納得したのは、大学を卒業してしばらく経ってからである。
あざます