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ヤングケアラー

最近よく聞くようになったヤングケアラーという言葉。
子供が家族や親族の世話や介護を行っている状況のことなのだろう。

家のお手伝いをすることは良いことだし子供の将来に役立つこともある。
しかし子供の学業や生活に影響を及ぼす程に負担を強いているのならとんでもないことである。

”誰かの世話をしていて大変な思いをしている”
これが目に見えている状況ならサポートの介入はやりやすい。
然るべき大人が世話が必要な誰かの支援を担うことで子供の負担を減らすことができるから。

私は人目に付きにくいヤングケアラーたちの存在を危惧している。
それは親のメンタルヘルスを献身的に担っている子供たちのことである。

その子供たちはキチンと学校に通っているしキチンと食べているのでいたって健康的に見えている。
だが・・・
家に帰れば愚痴やうっぷんを当たり散らす母親や自己肯定が異常に高い父親の存在が子供を地味に蝕む。

子供は基本親のことが大好きである。
そして本能的にこの人間たちの庇護がないと生きていけないことも分かっている。
優しくて頭の良い子供は一生懸命に努力する。
勉強をがんばり、お手伝いをがんばり、理不尽に向けられた負の感情を受け止めて無理しておどけてみせる。
全て親に笑って欲しい一心なのだ。

背中に数本の矢が刺さって血を流している子供に
指に棘がささって痛い痛いと親が泣きついている構図

ここで聡明な親なら気づくはず
笑顔の子供の目に涙がたくさん溜まっていることを。

気づかない親は子供を自分たちが便利にコントロールできる者として年月を重ねる。
そこに愛があるかどうかは既に関係ない。
そして経済力を持つようになった子供に捨てられるか
共依存の末の共倒れにいきつくか・・・・

これはもう、使い古された言葉ではあるが完全なる負の連鎖である。
たぶん
親も同じような親を見ながら育っている。
親に踏みつけられた子供の心の痛みは、その期間が長ければ長いほど思いのほか深い傷になる。

ヤングケアラーは完全に大人の問題である。

親のメンタルヘルスを献身的に担う子供の自覚無く積み重ねられている心の痛みは
いつか大きな綻びとなって社会に跳ね返ってくる。




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