「私は5年後の命を保証するために今を止めるわけにはいかないんです。」 主治医の先生に初診早々にこのような面倒なコトを伝えて積極的治療を拒んだ記憶がつい先日のように思い出される。 詳しい検査もこれからで乳癌で間違いないと予想はしていたものの胸の腫瘍が一体何者なのかもはっきりしていない段階であった。 この時の私は自分が死んだ後のことしか頭に無くて抗がん剤治療などで身体が動かなくなる位なら動ける内に面倒を片付けてスパッと逝った方が良いって本気で考えていた。 主治医含め医療従事者の方
コトの始まりはコロナワクチン@モデルナ3回目接種後だった。 副反応の症状が重くて接種後2日間は高熱と接種した左腕の怠さに苦しんだが体調が徐々に良くなってきた3日目に左脇の下に違和感を覚えた。 脇から乳房に向けてす~~っと触っていくと、ちょうど中間あたりにビー玉位の大きさのしこりが出来ているコトに気がついた。 ええぇ~~~~~。。。。?嫌な感じの後遺症だなぁ・・・ と、コロナワクチンの副反応と疑いもせずいずれ消えて行くだろうと深く考えもしなかった。 しかし消えて行くどころか一
睦月 警報が出ている雪の日 正午前 母が逝った。 入院中で主治医から何度も病状説明を受けていたので臨終が近づいていると病院から連絡をもらった姉から慌てたように電話があっても妙に冷静だったように思う。 「ああ~そろそろだと思ってたわぁ~。」 私の方が先に病室へ到着した。 母に話しかけると微かに「ふう」と声を出した。少しして到着した姉と看護師が今夜の付き添いの話をしているが 「今夜の付き添いって・・・これ、一時間持たないだろうよぉ~~」 私はそう心の中で確信していたが言葉には
あれは新緑の頃だった。 一年で一番心地良い季節に私は人生のとてつも無く大きな岐路に立つこととなった。 左進行乳癌 肺転移 胸椎転移 リンパ節転移 主治医の先生は検査結果とCT画像を診ながら淡々と説明した。 私は大体の予測はついていたので落ち着いて受け入れているように見せかけて 「やっべ!私、死ぬんだわ〜!これ…」 と、心の中で孤独にパニックを起こしながらも終活の段取りを考えていた。 なーんでこんなコトになったかなぁ… 悔やんでも現状が変わる訳では無し、 ここに至るまでの
SNSをさら~っと見ていて、ある投稿に目を奪われた。 父親が無知だと貧乏になり母親が無知だと病気になる いやぁ~~~!おっしゃる通り! ま!さ!に! 私がそうですからね~~! そうスマホに大声で話しかけていた。 私は 自分の欲を最優先し他力本願な父親で経済的苦労が絶えなかったし 母親の配慮の無さが原因のトラブルで一生身体に残る傷を負っている。 小学生の頃、社会で法と秩序の授業があり六法全書の存在を知った。 私は興味があり理解は難しいかもしれないけど一度見てみたいと思っ
ミニチュアアートの作品作りに欠かせないコトがある。 たとえコッペパンのような小さなミニチュアパーツ1ケでも私が手掛けるモノ全てにストーリー性を持たせることだ。 かじった跡とか家庭用オーブンで作ったので焦げにムラがあるとか・・・ 私はラフ画も設計図も描かずに制作に取り掛かる。 頭の中に情景を思い浮かべて、それを形にしていく。 ストーリーを描く時に作品の中を活き活きと動く”何か”が必要だ。 リアル過ぎずリアルから遠からずという作品作りの拘りから 人の形をしたものは入れたくな
私は!トリプルワーカーになる! 某海賊王のように宣言してみた。 ここの所の私は危機感で毎日オタオタしていた。 アーティストに専念できる時間が確保できて環境が整った途端 創作意欲が減退してしまったからだ。 なぜだ??? オーダー頂いた作品はどうにかこうにか我が身を奮い立たせて仕上げて納品した。 強烈だった・・・・作ることが苦痛なんてあまり経験がないから。 思い起こせば私は20年以上の月日 多忙な本業をこなしながら作家活動を続けてきた。 生みの苦しみにゲホゲホしながらも作
Instagramで表紙とあらすじを楽しむohakobunkoという バーチャル図書室を展開している。 そこで色々な世代の方々に満遍なくイイね!を頂いた物語を小説にしたためてみた。 時代屋萬福堂の招き熊猫 江戸、明治、大正、昭和、平成、令和 と続く老舗骨董店に鎮座する 招き熊猫が銭と人情を語り尽くす物語である。 第一弾は江戸時代の萬福堂の成り立ちから。 江戸時代なのでカタカナ英語を全て封印して日本語の表現のみで書いてみる。 私は情景を頭に描いて文字に起こす表現方法を取
私は子供の頃から姉御と呼ばれることが多かった。 内にも外にも下の弟妹などいない(たぶん・・・)ゴリゴリの末っ子なのに。 本当に子供の頃から人から頼られたり相談されることが多く 世話をやいたり手助けしたり・・・なぐさめたり元気づけたり・・・ 家のお手伝いも母は私ばかりに頼む。 転がってテレビを見ている父や姉に頼んでも梃子でも動かぬからだろう。 いつしかお手伝いでやっていたコトは私がやって当然のコトへと変貌し それが出来ていないと何故かこっぴどく怒られた。 大人になってから
小学生の頃の話し 私はラムネのガラス瓶の中にあるガラス玉が気になって気になって仕方なかった。 キラキラと屈折した光を集め映るモノで色が変わり本当に美しい。 「これは!どうしてもこの手に欲しい!」 随分と長い時間、試行錯誤したが瓶の中から取り出すことができない・・・ 私は意を決して金槌でガラス瓶をたたき割った。 瓶は真っ二つに割れて破片が飛び散った。 そして音を聞きつけてやってきた母親にしこたま怒られる・・・ やっとの思いで手の平に乗せたお宝は薄青色の何の変哲もないガラス
介護職従事者となって30年の月日が流れた。 現在は週一日、グループホームで介護支援専門員として働いている。 入居者9名(ワンユニット)のコンパクトな施設で日々の施設内のコトは全て介護士さんたちが担っている。 入居者とスタッフの食事も調理専門のスタッフを置かず介護士さんが当番制で全て手作りしている。 そして、どの介護士さんが作る料理もすこぶる美味い! これ・・・どれ程に高い技術を要する仕事なのか判ってもらえるだろうか。 決められた予算内で栄養バランスを考え食材を無駄にしな
私が通っていた高校は男多めの共学マンモス私立高校だった。 大学受験に焦点をあてたカリキュラムで進む志学クラスと、どなたでもどうぞ~的な普通科クラス、商業科クラスに分かれていた。 これは正直な感想 当時、私のいた普通科はまるでスラムのようだった。 クラスメートも私のような専願入学は珍しく公立高校入試に落ちこぼれた子が殆どであったと思う。 美大に行きたいという夢を持ちながらも進学校に行く学力も無く 高卒の資格さえあれば後は何とかなるっしょ~! ってなコトで高校受験にまともに取り
様々なコトがほぼほぼ仕事に絡んでしまうようになった私には 趣味と言えるモノが無かった。 あくまで自論だが、趣味というのは理屈も屁理屈も関係なく 好き!という感情で没頭できるヒトモノコトを指すのだと思っている。 そんな私にも、とうとう趣味が出来た。 それは ☆ パンダ ☆ パンダのぬいぐるみやキャラクターやグッズ等では無く パンダそのものが大好き。 毎日、SNSの画像投稿や動画を見て心の歪みを矯正している。 パンダは不思議な生き物だ。 現在は笹をハムハムする可愛らしい様
最近よく聞くようになったヤングケアラーという言葉。 子供が家族や親族の世話や介護を行っている状況のことなのだろう。 家のお手伝いをすることは良いことだし子供の将来に役立つこともある。 しかし子供の学業や生活に影響を及ぼす程に負担を強いているのならとんでもないことである。 ”誰かの世話をしていて大変な思いをしている” これが目に見えている状況ならサポートの介入はやりやすい。 然るべき大人が世話が必要な誰かの支援を担うことで子供の負担を減らすことができるから。 私は人目に付
神様仏様は人の心を上手い具合に作ったものだ。 私のようなマイペースお気楽ポジティブ思考人間がメンタルを病られる 事態に遭遇した場合その辛い記憶をすっきりキレイに思考から失くして しまうように出来ているようだ。 ここ2~3年生きてきて所処の記憶がぽっかり空白なのだ。 とても心配になって周囲の人々に尋ねた 「私、ここ2~3年大丈夫だった?」 皆さんは困惑しながらも笑顔で 「しっかりしてたよ!」 と言って下さるので心の底から安心したのだった。 ちょうど一年前くらいから心と思考が
プロローグ 私は今、膨大な過去を棄ててきた。 2004年から書き貯めてきたブログの記事 大切に育んできたWEBメディアの記事と画像すべて きっかけはムームードメインとの行き違いでWEBメディアを 一方的に初期化された事が発端。 アプリを入れてコメントから入ってくるスパムを除去していたけど 初期化によりそれも外れてしまい、承認まちのスパムコメントが 鬼のようにメールされてきて事の次第に気がついた。 ドメインの料金は支払い済み。 契約期日もたんまりと残っている。 いつもの私な