最近読んだ本など。1
2024年はなんだか色々あった話。
表面上はたいして何も変わっていない。変わりつつあるのは自分の内面だ。
ずっとずっと生き辛くて、でもその原因がわからなくて、もがき苦しんできたのだが、それもなんだか解決しそうである。
せっかくその一環でこうしてブログを書いているのだから、お世話になった本について紹介したい。
今までの人生で師と仰げるような人に会ったこともなく、天命を知るような出来事も特になかった割に、巡り合わせの悪さはなかなかのものだった。
しかもコミュ障である。初対面の人ともそれなりに話せるし、一人旅もできる。表面だけ見ているとそうとは思われない。でも、本当は電話も苦手だし
テレビ通話もZOOMもなんだかおっかないのでした事がない。
ゲームはすごくする方だと思うが、誘われて始めたネットゲームは、画面の向こうに人間がいるのだと思うとやたら気を遣って疲れるからやめたし、カフェも常連認識されると足が遠のいてしまう。あと道を聞かれるのも苦手だ(よく聞かれる)。
そんな人間は本かネットで知識を得るのが常で、春頃もネットの海をふらふらと彷徨っていた。
AmazonのKindle Unlimitedはありがたい。なんとなく興味を引かれた本や雑誌を手あたり次第に漁り、求める答えにたどり着くまでそれを繰り返す。なんだっけこれ、「フィルターバブル」?あんまり良くないとされている現象だが、ニュースや新聞などの媒体は嫌な事件や不愉快な話も容赦なく目に飛び込んでくるので、心が疲れ気味人間にとってはかなり辛い。だから今は仕方がないのだ。(ネットの広告も予期せぬ大ダメージを受けるものが多いが)
そんな風にKindleの本棚を巡って出会った数多の本たちの中で、私の体感的に効果があったかな?と思える本の紹介である。
あくまで個人の感想です!!
まずはこれ。ここから全てが始まったと言っても過言ではない。
メンタルがボロボロになり、自己肯定感?何それ?な状態になった私は、この本に出合う前にも色々なことを試してきた。
一万回「ありがとう」を唱える。
新しい趣味を探す。
旅行する。
パワースポットに行く。
アドラー心理学を学ぶ。
ロハスな生活をしてみる。
瞑想。
ヒーリングミュージックを聞く。
ゲーム(主に洋ゲーRPG)に没頭。
推し活。
古典哲学を学ぶ。
仏教哲学を学ぶ。
などなど、ざっと思いつくだけでも様々なもの手を出してきた。中には良いと思えるものもあったが、私の体感では根本的解決をしている感じはなく、何をしていても心の中には常に嵐が吹き荒れていた。
この本を読むまで、自分の親が毒親気質だとは思わなかった。手放しで「大好き!」と言えるほど好きではないが、それなりに仲良くやれていると思っていたし、ありふれたごく普通の親だと思っていた。分かり易い虐待をされたこともなかったし、体感として、親族の親よりは全然マシっ!と小さい頃から思っていた。だがそうではなかった。
気まぐれの愛、条件付きの愛、それも虐待の一種だったのだ。
恐らく代々続いてきた負の連鎖なのだろう。両親とも感情の起伏が激しく、容赦なく子供にその時の自分の感情をぶつけてきた。明らかな八つ当たりもあったし、不安や恐怖などもぶちまけてきた。
わかって、わかって、わかって…
私はここにいる、私はここにいる…
寂しい、悲しい、怖い…
今ならそんな悲鳴が聞こえてくる。私も無知だったが、彼らもまた無知だった。「愛」という名のもとに全ては正当化され、常識だとされた。
彼らは彼らなりに「親」という役を一生懸命演じようとしていたし、私もまた「子」という役を精一杯演じてきた。だが残念ながら結果として、私の望む幸せとはほど遠い状態だった。
いい歳して親のせいにするな、という意見もある。色々学んだ私としては、それも間違ってはいないと思う。大体のことは自分の中から湧き起こるものだ。だが、まだ知識の浅い、外に広い世界があることすら知らない人(子供に限らず)に、私はこのセリフを言うことはできない。あまりにも残酷だ。
人は自分で体感しないとその人の心を知ることはできない。もちろん、想像したり、寄り添うことはできる。だが真に理解はできないと思う。だから、私は一を聞いただけで十を知った気になり、不用意にこういう事を言いたくはない。
前書の理解を深めるために、似たジャンルの本を読んでいった。
どちらも作者が外国人で、前提が日本人とは少し違う面もあるが、逆に客観視できるので私は訳本も好きだ。次は日本人が書いた本。
作者が男性ということもあるのだろうか、前の2冊の解決法に対して、少し手荒な方法だなと思える解決策だった。だが、ケースによってはこちらの方が有効な場合もあるだろう。
「毒親」に関して知識を深めた私は、親のことを毛嫌いするようになり、約半年、一切の連絡を取らなかった。生まれてこのかたこんなこと初めてで、言いようのない不安と罪悪感に苛まれたが、これも本に書いてあり予想の範囲だったので、無理に感情を止めることなく、泣きたいときに泣き、紙に呪いの言葉を書き殴ってはビリビリに破って捨てた。ただ、絶対に「自己否定」と「自分責め」だけはしないように努めた。
毒親関連に少し疲れてきた頃、新たな転換期と言える本と出合う。
この本で私は「心理療法」や「臨床心理士」という言葉を認識した。
今までも耳にしたことはあったと思うのだが、精神科と聞くと「薬漬けにされるこぇぇぇ…」という気持ちがあったので、スルーしていたのだと思う。
でもそれも、今となっては思い込みだ。
本の話に戻ろう。作者が回復していく様子が生々しく、共に一喜一憂した。薬を使わない治療の話はとても興味深かったし、いざとなればこういう人たちに頼ればいいのか、という安心も得ることができた。
この本に書かれていたことが、前後に読んだ本の内容と共通することもあり、心の嵐を鎮める為の下地ともなった本である。
毒親関係はここまでだ。次回はより精神的な話の本へと移行していくことになるので、苦手な方もおられるかもしれない。だが、読まず嫌いよりは読んで嫌いになった方が良い。なぜ嫌いなのかを自分の言葉で答えることができるから。
私がいつか言われた言葉の中で特に印象深かった、
「いつでも退避できるよう、バックドアは開けたままで。」
そんな心持でお付き合いください。