今年はソクラテス! (9)
9
前節で考えてみたような疑問は、生と死の断絶よりもソ
クラテスにとって大事だったはずの
「知恵とは何か」
「勇気とは何か」
「友愛とは何か」
などについても、同様に考えてみなければならないでし
ょう。
しかしこれらは、わたしの手元にある例の文庫本『ソー
クラテースの弁明』だけでは推理が出来そうもないので、図書館から借りてきた根無一信(ねむ・かずのぶ)さんという方がお書きになった
『ソクラテスからの質問』(2022年8月刊 名古屋外国語大学出版会)
というご本で学んだことをもとに考えさせて頂きます。
この本には、人間の生き方のすみずみまで規定するよう
なレベルの知恵をソクラテスは求めた……とあり、わた
しも『ソークラテースの弁明』だけを読んでいてさえ、
ここで言われている知恵が単なる知識ましてや常識など
より遥かに柄の大きいものらしいことに気づきますから、出来れば最初にその検討をすべきだったのかも知れません。が、実際には勢い任せで書き始めてしまったので、こういう順序になっています。
さて、人間にとっての善とか悪とか言っても、それらは
ある時代、ある地域ではかなりの絶対性を持つかも知れ
ないが、どんな時代、地球上のどんな地域においても絶
対的に善である(あるいは悪である)といった普遍性と
しては存在しない……という、ごくごくもっともな相対
論があります。
ソクラテスの頃には、人間が子供から青年になり、大人
から老人になっていく個人の成長と老化に相当するもの
が、たいていの人間社会の歴史にもあるという前提で過
去を振り返って考えるような普遍性は、まだ問題になっ
ていないでしょう。何といっても自分たちがまさに、人
類史の青年前期のピークとも言うべき時代を他に先駆け
て作っている最中でしょうから。
しかしそうは言っても、ある地域で疑いのない正義であ
ることが別の土地では許されざる暴虐になってしまうと
いう相対的な現実の方は、拡大を続けてきた地中海世界
の交易、交流、紛争、支配・被支配を通してすでにハッ
キリと視野に入ってきていました。
上記『ソクラテスからの質問』には、こんな例が紹介さ
れています。テッサリアでは牛を屠り皮を剝いで解体す
ることは一人前の男が当然するべき事柄だが、ギリシア
ではそれは奴隷のなすことであり、まともな男(自由市
民)はそんなことをしてはならない。
またマッサゲタイ人は、亡くなった親を子どもたちが切
り分けて食べ、身内の中に葬られたことを美しい弔いと
するが、ギリシアならばこれは論外であり、そんなこと
をした者は追放される、と。
ところが、当時のソフィストの多くが、善悪は絶対的な
基準では存在しないことの証拠として認めたであろうこ
うしたことを、ソクラテスは認めません。
これは今のわたしたちが考えれば、ソクラテスがあくま
でも自分が生まれ育った当時のアテナイの、慣習や法律
や神々を基準にしている(それらに縛られている)から
だということになりますが、彼はそれはあたかも間接的
な理由に過ぎぬかのように
(絶対的な基準の追求それ自身が間違っているはずがな
い)
という態度で対話に臨んでいるのです。
身をもって相対主義を体現しながら、その自分が絶対の
追求を良しとして譲らないという、これは矛盾そのもの
ですが、次のように考えれば理解できます。
つまりソクラテスはここで、理由は知らず直感に導かれ
てする思考と、いわゆる頭で整理して語る思考とに分離
して別次元のことを同時に語っているのです。
古代ギリシア人の、特にアテナイの人々がプライドをか
けていた人前で語ること、よどみのない弁論は一見する
と明晰なので、ついつい
(当然、みな同じ思考の次元で互いにズレのない発言が
交わされているのだろう)
と思いがちですが、決してそうではない。
ソクラテスはアテナイで身につけた事柄を語るときと、
まるで自分が最初から普遍性追求の申し子であるかのよ
うに絶対的な基準の存在を疑わずに追求し続ける自分を
正しいと語るときとで明らかに矛盾し分裂しています。
けれどそれを聞いていた当時の人々は、この矛盾か分裂
をはっきり意識することはなかったのでしょう。なぜな
らそこには広く無自覚に、自分たちが今まさに達してい
る精神の次元(歴史の最先端)の意義が共有されていた
から。
言葉が社会で共有され経験が重ねられ、表現の厚みが増
していく中で
(なるほど、これは疑いようがない)
と認められる事柄と、上記のように今まさに自分たちが
体現しているのだが、言葉の次元ではまだ定着していな
い……表現が追いつかない……情熱とは、矛盾する方が普
通なのです。
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