春夜さんに会ったら
「桜が舞う夜はね、春夜(はるや)さんが現れるよ。
風鈴の音が聞こえたら気をつけて。
春夜さんに好かれた人は良いことがあるけど、
失礼な人は大切なものを失うんだって。」
「それってなに?妖怪?神さま?」
「さぁ?私もお姉ちゃんから聞いただけだから。」
「ふぅん」
同じ塾のふぅちゃんは、お姉ちゃんから仕入れた話をよくしてくれる。
でも、首をかしげたくなる話だ。
「お姉ちゃんのクラスメイトで、春夜さんに会った人がいるって。」
「ほんとに?」
ふぅちゃんは強張った顔をする。
「だってその人、春夜さんのことをおばさん呼ばわりしたせいで、右足を骨折させられたんだって。」
そんな妖怪の話があったな、と本の記憶をさかのぼった。
「そうなんだ...。痛かっただろうね...。」
「そう。でも、春夜さんに会った直後、後ろから自転車でガッとぶつけられたせいだから、春夜さんのせいかはわからないけど。」
「たしかに...。」
こじつけかもしれない。
「あ、先生来た!またね。」
ふぅちゃんはすばやく席に戻った。
私は、春夜さんから右足を折られた人を思い、胸を痛めたままだ。
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帰り道、ふぅちゃんはまだ話し足りないらしく、続きを聞かせてくれた。
「その足を折った先輩ね、サッカー部だったけど、春夜さんのせいでスタメン落ちしたんだって。」
「そうなんだ。辛かっただろうね。」
「でも、それは優しさなんだって。あ、お母さんだ!はなちゃん、また明日ね。」
「あ、うん!また明日ね。」
骨を折る人のどこが優しいのだろう。
母のもとへ駆け寄るふぅちゃんへやわらかく手を振り、見えなくなると、桜並木の向こう側にある自宅へ、歩みを進めた。
綿あめのような桜から、花びらがこぼれ落ちていく。春夜さんはこんな光景の中、本当に現れるのか。いつも通る道なのに、少し怖くなった。
春夜さんが、いじわるで骨を折ったのではないとすると、なぜか。
優しさで骨を折るとは、どういうシチュエーションか。
私の失いたくない、大切なものはなにか。
濡れぞうきんのような、じっとりとした気持ちで考えごとをしていた時だ。
キーン....と高い金属音がした。
心が澄み渡る、つややかな響きだ。
「あなたは、優しいのね。」
儚げで、また聞きたくなる声だった。
左を見ると、手を伸ばせば届く距離に、和傘をさした、着物の女性が立っていた。夜空を彷彿とさせる深い紫に、淡く桜が舞う装い。思わず見入ってしまう。凛とした大人の雰囲気に、緊張が走る。
「あなたの大切なもの、その顔のままね。」見上げると、人を安心させる雰囲気に飲まれそうなまなざしだった。
この人がもしかして。
「春夜さん、ですか?」
「そうよ。」
どこか楽しそうな微笑みに、不思議な居心地の良さを感じた。
けたたましい着信音だ。
ハッと気付き、あわててガサガサとカバンから電話を取り出す。
「はな、今どこなの?」
「お母さん?今、桜並木で2丁目のあたり。」
どこか緊迫した声に、冷や汗が浮かぶ。大切なものを失う、という言葉が頭をよぎる。
見渡すと、夜桜が舞うだけで誰もいなかった。
「オムライスを作ってたら、卵がなかったの。買ってきてくれない?あと、おばあちゃんが来てるわよ」
「そうなの?おばあちゃん元気?」
「元気よ。いちごアイスが食べたいって。あとでお金を渡すから、それもお願いしていい?」
「わかった!」
「お迎えに行けなくてごめんね。気をつけて帰ってくるのよ。」
「うん!すぐ帰る!」
入院してたおばあちゃんに会える。
うきうきした気持ちで、私は走りだした。