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童貞、柔らかく云うと思春期の夢としての『天気の子』感想
超話題の新海誠監督最新作『天気の子』観てきました!
いや〜よかった。観ながらぞくぞくしました。これはまごうことなき中学生男子の夢ですよ。私の心の中の中学生男子が脚本書いたのかと思った。それくらい中学生男子力(ちゅうがくせいだんしりょく)にあふれていた。元気が出た。
新海誠監督のことは以前から存じ上げていましたが、秒速〜とかはあらすじ読んだり人様からプレゼン受けたりする中で「うわ、何それ思春期拗らせすぎて怖い」と思って近寄って来なかったんですよね。なので、教養として『君の名は。』を観るまで全然履修しておらず、一般大衆向け映画である『君の名は。』は良くできた映像の綺麗な映画という以上の感想を持ちませんでした。
いや、嘘。あんまグダグダ云いたくないけどやっぱり自分のジェンダー観とは相容れないところが多くて「うわーこういう価値観映画で青少年に撒き散らさないでほしいな」と思ってました。
ですが、『天気の子』はそんな私でも楽しく観られました。まあ、私が云うてそこまで確固としたジェンダー観を持ち合わせていないだけというのもあるでしょうが。
陽菜ちゃんがやたら料理してたり、服装がオタクの夢みたいなところは「いや嘘でしょ……」と思ったけど、まあね、それは人それぞれの好みの問題ってくらいの話かな……と。
『君の名は。』と何が違ったのかな〜と思ったけど、もうこの記事のタイトルの通りなんだよね。
何と云うか、『君の名は。』の瀧くんに比べて、まだ女の子とのおつきあいが現実的でない男の子の描いた夢物語って感じで、それが妙にリアリティのないというか、エロのない物語につながっていて、結果ジェンダーうんぬんの議論に至るほどのシーンがないんだなと私は解釈しました。
もうさ、陽菜ちゃんと帆高くん、そして凪くんの三人で仲良く暮らしてる(というほどでもないけど)シーンなんか「ジブリかよ!」って感じの現実感のなさだよね。三人で晴れ女の仕事してるシーンとか、楽しくラブホで過ごしてるシーンなんか観ると「お前さんが宮崎駿の後継者だよ!!!!」みたいな気持ちになった。
あのシーン、思春期男子として観るとめちゃくちゃ楽しい。私は心の中につねに小学生男児と中学三年生の男子がいるので、彼らとして観るとクソ楽しかった。
自分たちの秘密基地があって、食うに困らない程度のお金があって、うぜー大人はいなくて……。
すごいよ新海誠監督! 大人なのに思春期の夢わかりすぎている! そうだよこういう夏休みが過ごしたい思春期五百万人くらいいるよ! みたいな気持ちになった。
まずさ、最初のネカフェのシーンでライ麦畑で〜を持ってる時点でもう帆高くんだいぶ厨二病だから。たぶんスタンドバイミーとかも観てるでしょネカフェで暇な時。
まあ他にも色々細かいこと云いたいんだけど、とにかく思春期の男子が書いた小説を読んでる気持ちで観たわけですよこの映画を。そうすると何も不自然なことはなかった。
思春期だから自己が肥大化して、自分(たち)に世界を変えてしまう何かとか運命とかがあると信じちゃうし、いつまでも信じてるし、きっと大人になっても思春期の出来事だから信じ続けられる。
思春期男子の小説だから、細かい整合性とかどうでもいいんですよ。世界は気になるけど、世界より目の前の好きな女の子の方が大事に決まってるじゃん! 明日東京が水没するかより、好きな子と手をつなげるか、キスできるか、その先まで行けるか、なんならドラッグストアでスムーズにゴム買えるかの方が五百億倍重大なんですよ! そういう「世界を救う何かになりたいけど、好きな女の子を目の前にしちゃうと世界のことなんか途端にどうでも良くなる」子どもの感じが本当に最高でした。よかった……。
『君の名は。』はそこらへんの整合性取ろうとしてるかんじが私の好みじゃなかったんですよね。「うるせ〜そんなの関係ね〜」「どうでもいい〜」みたいなぶん投げ方ができなくて、現実世界の常識でなんとか説明しようとしている感じが好みじゃなかった。その点、『天気の子』は「うるせ〜」とぶん投げてくれたので良かったです。
中学生男子だから、難しいことはわかんねーでいいんですよ。世界に影響を与える人間になりたかったけど、やっぱりそれより目の前のかわいい、自分がいないとだめ(だと勝手に思い込める)女の子の方が大事なんですよ。それでいいんですよ。だって思春期だから。
細かい設定にグダグダ云いがちなオタク(つまり成人女性の私)をぶん殴ってくれてありがとう! 新海誠監督! って感じでした。
まあ、真面目な話を付け加えると、「バ〜ニラ、バニラバ〜ニラ♪」をはじめ、とにかく広告が目につく作品でしたね。
現実にあるものを描くことが悪いとは思いませんが、映画という虚構の世界を描く際に、どれだけ商業的なものに乗っかるのがいいのかは改めて検討する必要があると思います。ドラマでも、家電メーカーがスポンサーだと貧乏設定なのにやたら家電が立派とか、現実ではこんなに家電のブランド統一された家ね〜よ! ってなったりするように、虚構の世界に心地よく没入するのを妨げる広告ってどうなんだろうな、と思います。また、ひとつの芸術として映画をみた際、どこまで商業的なものに“汚染”されるのを許容するのか。この辺りはジャーナリズムの出番のような気もします。
まとめると、帆高くんが陽菜ちゃんに贈った指輪がクソダサくてぞわってしたのと、もし自分が中学生でデートでこの映画選ばれたら別れるだろうなと思いました。