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【第22話】”死んだ”私

今日は「虐待」の経験を通しての、感情論を書こうと思います。普段は事実と気持ちや学びを整理して、客観的に書いているのですが、このお話は本当に正直な自分のうちにあった醜い気持ちを書いています。あえて残しておこうと思いました。

感情的な部分もあるので、不快になるかもしれません。苦手は方はここで引き返して下さい。お願いします。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

こんな本を読んだ。虐待経験者たちが綴った悲惨な過去。ちなみに私の作品も93ページに掲載されている。興味があればぜひ読んでみてほしい。ただ、内容が重苦しく、辛いので、30分読むと気持ちがしんどくなるので注意です。

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この本を読んで思うのは、親も子供で無知。子供を”所有物”にしている。「しつけ」といえば、何をしてもいいと思っている。

人はどうしても弱い生き物。ふとした瞬間に、自分で自分がコントロールできなくなり、身近にいる弱い者に手をあげる。もしくは罵り、自信をなくさせる。そうすることで、自分の劣等感を覆い隠して満足する。人をコントロールできることに喜ぶ。自分がこの世で一番偉くなったみたいに。

この本の体験談には親に愛されたい、認められたい人が多い。それだけ、子供は親の愛情を心から必要としている。手をあげられても、罵声を浴びせられても、子供は親を嫌いになれない。優しく微笑みかけてもらうために、努力するのだ。

人間は、ほんまに怖い。人の心に土足でズカズカ踏み込んで、かき乱して、殺す。

私は”死んだ”。心が殺されたのだ。

人から見れば大げさなのだ。きっと家族に言っても、そう言うだろう。それでも、私はこの事を書く。

バッタモン家族を抜け出すまで、自分の心が”死んでいる”ことが分からなかった。私は幸せなことに、友人や旦那さんがサポートしてくれて、心を”生き返らせる”ことができた。

それまでの私はずっと自分が…

・生きていたらダメ
・存在価値がない
・誰も自分を認めてくれない
・幸せになったらダメ
・自分の好きなように生きるのは許されない
・悪いのは自分

そう思ってきた。「そんな大げさな…」って思う人もいるだろう。でも親やパートナー、自分を大切にしてくれるはずの、信頼できる人に毎日のように罵られ、叩かれると、「彼らの言う通りかもしれない。」と感じるようになってくる。彼ら以外に信頼できる人がいない、安心できる場がないと、虐待されても、暴力振るわれても耐える。

いつか相手が変わるだろう。

親・パートナーが自分を愛してくれる日がやってくるのを、心待ちにしている。

…そんな日は来ないのに。

彼らの「愛情」は「束縛」。「しつけ」は「ストレス発散」。

彼らは心が弱いのだ。駄々をこねる子供みたいなもの。自分の思い通りにいかないから、簡単にコントロールできるパートナーや子供を抑制することから始まる。次第にエスカレートし、手をあげて「恐怖」を植え付ける。周りから見ている人は「すぐに逃げればいいやん。何してんの?」と思うのだ。でも本人たちは逃げられない。手をあげた人は、その後、人が変わったみたいに優しくなるから。「これが本来の私の愛する人。私が我慢すれば、あの人は変わる」と思って、暴力をなかったことにする。馬鹿げている。

私の義母はそれで、顔の原型が分からないほど父に殴られた。彼女は何も悪くないのに。そして、その後の父は憑き物がとれたみたいに優しく、泣いて謝ったり、母の傷の手当をする。馬鹿らしい。

愛、結婚、親子の絆、信頼。そんなもの全部偽りだ。

バッタモン。

「結婚なんてしない」、「父のような男は嫌い」、「男なんて信頼できない」、「女は”モノ”扱いされる」、「私のような人間は誰からも愛される価値はない。誰も好きにならない」。

中学生で、ずっとこう思っていた。でも、私は誰かに愛されたかった。「すごいね」、「頑張ってるね」って、認めてほしかった。矛盾している。父からの愛情を求めるように、私は年上の男性ばかり好きになった。愛されるために必死だった。

だけど結局は、私の顔と体が好きなヤツばかりだった。ふざけるな。そして、そんな男しか選べない自分にも腹がたった。

しょーもな。

「私の良いところも悪いところも、全部好きになってくれる男性なんていない。結局、父のような男ばかりや」。

毎日のように両親の喧嘩を見聞きし、両親に愛されたいがために笑顔で頑張るも、彼らが私に言うことは…

 「お前は、アホや」
(残念ながら、お前の娘や)
 「しょーもないヤツ」
 (お前よりまともや)
 「死ね」
 (生きる!)
 「できそこない」
 (何も挑戦させてくれへんかったからな!)
 「お父さんに似て、嫌やわ」
 (親子やから似るのは当然やろ!)

褒められたこともあるが、こんな悪口を言われる方が多かった。慣れてくるとツッコミを入れたくなる。あまりに理不尽やから。鬼の形相で「死ね!」って言われたときは、「誰が死ぬか!生きたるわ!ボケ!」って返したこともある。それくらい「死ね」の言葉には破壊力があるから、言い返さないと心が潰されそうやった。心のこもった「大好き」がほしかったわ。

私は父の愚痴を義母に聞かされ、父には何故か私が怒られる。どんなに罵られても、私も彼らは変わると思っていた。私は、両親に「消えてほしい」と思ったことはない。逆だ。

私が消えてしまえばいい。今すぐ消えたらいいのに。明日の朝、永遠に目覚めないことはできひんかな?私がいなくなっても、だぁーれも悲しむはずがない。なんで生まれてきたんやろうか?はは。うける!

心が壊れた瞬間だった。悲しい、辛い、も感じない。嬉しい、幸せ、も感じない。”偽り”の笑顔以外の表情は消え去っていた。

泣けない、怒れない、誰も頼れない。それなら感情を消してしまえ。

親にも男にも媚びる。誰にも本当の”自分”を見せないまま。両親も男も、一緒にいれば楽しいこともあった。笑顔が溢れて、これがずっと続けばいいのにと思っていた。

そんな日は来なかった。私の心はもっとズタズタにされた。彼らは鋭利な言葉のナイフで、何度も、何度も心を突き刺した。心臓ごとなくなったかと思った。

実母の余命が1年になったとき、父と義母の言葉があまりに残酷だった。励ますために言ったのかもしれないが、傷口に塩をなすりつけられるだけだった。

 「あの人は、お前を捨てたんや。」
 「だから、子供に見放されて当然やろ。」
 「(子供たちを)ないがしろにした罰やわ。」
 「かわいそうな人。」

それを延々と聞かされ私は…


違う!違う!ママはそんな人とは違う!

その言葉がのどまで出かかっていたが、やめた。言っても通じないからだ。

義母まで、そんな言い方するなんて…もう何でもいいわ。考えるのも疲れた。好きに言えばいい。人の気持ちが分からないあんたらの方が、かわいそうやわ。それで、私の気持ちが楽になるとでも?どこまでも、イタい人らやな。笑えるわ。

私は兄一人に母の看病をほとんど任せていた。そんな私も最悪な娘だと、今もまだ後悔は消えない。

ただ、10年ぶりに声をあげて泣いたのは、実母が安らかに眠っている顔を見た瞬間だった。

 「ごめん…ごめん!ごめんなさい!!私は最低な娘や!!!」

もう笑いかけてもくれない、許しを乞うても何も言ってくれない。ひと目も気にせず、小さな子供のように泣き、その場に崩れ落ちた。実母のお葬式から私が家に帰ったあと、出迎えてくれた両親。

私は憔悴しきっていた。慰めてほしかった。

彼らは私の目の前で、実母の悪口を言い続けた。

(またか…。ほんまに人の痛みが分からないんやね。どんな神経してんねん。笑えるわ。)

あれだけ泣き叫んで心が戻ってきたと思ったが、家に帰って両親の悪口には何も感じなかった。

 「うん。もう好きに言うたらいいよ。でもお葬式から帰ってきてすぐに、そんなこと聞きたくない」

自分は冷静に、笑顔で言った。怒りも、悲しみも、感じない。まだ何か言っていたが、何も聞きたくなかった。

この人たちの前では、絶対に泣いたらいけない。

無意識に思っていたのだ。だから涙も、弱みも見せなかった。自室に行った瞬間、スイッチが入ったかのように視界がぼやけて、しずくが頬を流れる。静かに、静かに、泣いた。自責の念と後悔で。

あの時ほど、消えたいと思ったことはない。家にも、どこにも居場所はない。私は存在していたらダメなんや。実の母にも、最低な娘と思われているだろう。

頭の中で突然、父に言われた「死ね」が響く。

死ね。死ね。死ね。お前は無価値。生きてたらアカン。

頭の中で影が大きくなって、私にささやきかける。

本当に命を絶ってしまおうか?

一瞬だけ、恐ろしい考えがよぎった。でもその時の私には、大切な人がいた。もし私が死んだら、悲しむ人がいた。恐ろしい考えと頭の中のささやきを引き離した。

私は生きなアカン。一度、心が死んでいる。肉体まで殺したらアカン。死んだら、そこで全て終わり。生きてたら何とかなる。大丈夫!しっかりしろ。

あの時、大切な人がいなかったら、私はどうしていたのか…と考えると怖くなる。実母の一件で、ますます親を信頼できなくなり心の距離はもっと広がった。軽蔑すらするようになった。

人の痛みが分からない人間。私を生んでくれた人の悪口を平気で言える。少なくとも、あんたたちに比べれば、実母はまともやわ。私の心を返して。私の時間を、子供時代を、友達を、母との時間を、全部返して。返せ…返せ。私の人生はむちゃくちゃやわ。幸せになりたい。これが”家族”?ふざけるな。腐ってる。バッタモン。

人間みんな、考えや意見がある。たとえ小さな子供でも。自分の子供だから”何しても”許されることはない。

子供は親のサンドバッグや毒出しのゴミ箱じゃない。ひどい言葉を投げられると傷つく。力任せに殴れば痛い。自分の機嫌で殴ることが「しつけ」ではない。親からすれば、大したことなくても子供の心は繊細で、一生覚えていることもある。

言うことを聞き、自分を裏切らないから子供を”モノ”として独占する。

殺された心を取り戻すまで、5年。回復できているのは信頼できる友人、旦那さんのおかげだ。まだ完治しているわけではない。今も現在進行形だ。それでも5年前よりも自分が好きで、責めることもない。偽って笑うこともない。怒りで感情を表現することもなくなった。

それでも、このバッタモン家族エッセイを泣きながら書くこともある。その時に、まだ自分の傷は癒えてないと悟る。

私は”死んだ”。心は簡単に壊れる。

親だからといって、子供の心を殺すのは許されない。絶対に。

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Mai🍁いとをかしな日常
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