今の生活は当たり前じゃない、過去のボロ屋を思い出して実感
さっき尿意を催し、トイレで用を足していると…頭にポト、っと何かが降ってきた。
え?
頭を触っても何もない。上を見ても何もない。念の為にもう一度、頭を触ると、濡れてる?!でも上に何もない。
よーく目を凝らしてみると…換気扇を伝って落ちてきたのは水!
雨も降ってないし、ましてこの部屋は2階。てことは、上の人が使っている水が降ってきてる。虫とか変な物じゃなくて安堵しました。
床を見ると、おしっこを飛ばしたのかと思うくらいの水が広がってる。とりあえず明日じゃないと業者も来ないし、何もできないから、受け皿で応急処置。
受け皿からリズミカルに聞こえる、ポトン、ポトン、って音は、私を14年前に引き戻す。
14年前、バッタモン家族とボロ屋に住んでいました。
3階建てのボロ屋では、隣家とのカベの隙間で野良猫が走り回って、お風呂に入りながら発情期の猫の声を聞いてました。木造の古い家だったので、2階の天井の木は腐り今にも落ちてきそうでした。そんな家だったので、雨漏りも日常茶飯事。雨が降ったら、銀のタライを2階と3階に4つほど置いてました。
その家に住んでいて一番印象的だったのは、台風で川が氾濫し、川よりも低い位置にあった我が家は浸水(中学生だった私は、ふくらはぎまで浸かった記憶があります)。家族5人と知り合いでバケツリレーしましたが、雨と川の水は減っては増えての繰り返し。でも幸いだったのは、ふくらはぎより上まで水が増えなかったことですね。
大雨のあと家族が言っていたのは、我が家の周りの家もボロく、ボットン便所の家もあったそう。浸水で便たちが、道路にプカプカ浮いて漂っていたみたいです(ボットン便所に馴染みのない私には、衝撃でした)。この浸水から1年後、私たちは今度は海の近くに引っ越しました。
あんなボロ屋でも、浸水しても、天井が垂れ下がってても、私たち家族が出ていった後も、誰かが住んでいたそう。Google Mapで確認したところ、今もボロ屋は残っていてお店になっているみたい。でも2階と3階の姿はない…。
今日の水漏れで、ボロ屋と浸水を思い出して今の生活は当たり前じゃないと実感させられました。問題なく暖かい家に快適に住めて、好きなことをして、好きな人といることに、今まで以上に有り難みを感じました。
大げさなようですが、ボロ屋に加えてヒステリックな家族に囲まれていると、狭くて暗い檻の中に閉じ込められているような気分でした。あの頃は、家が一番苦痛な場所でした。そこから解放された今、読書や執筆作業の好きなことをして、お家が自分にとって快適な場所になっていることに幸せを感じます。