【第20話】新しいお母さんが来た
『バッタモン家族』の家族構成は複雑だ。私には腹違いの兄、弟と妹がいる。
*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。
*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。
私が4歳の時、父と私の実母は離婚した。実母の離婚から間もなく、我が家に新しいお母さんがきた。父とは年齢が20歳以上も離れたお姉さんだ。私は、父が”離婚”したことも、”再婚”するということも、全く意味がわからないまま、その若いお姉さんと挨拶を交わした。今度から「母」となる人物なのだそうだ。
私は昔から人見知りで、初めての人と会うと緊張してうまく話せない。父の後ろに隠れて、小さなお辞儀と一緒に、なんとか名前を伝えた記憶がある。そこから数日、「今日からこのお姉さんを”お母さん”と呼びなさい」と言われた。
純粋に素朴な疑問をぶつけた。
「…なんで?」
「今日からこの人が、お前やお兄ちゃんたちのお母さんになるんや。」
「(私には、もうお母さんいるよ…?)」
「聞いてるんか?返事しなさい。」
「うん…。聞いてる。」
本当にこの父は、子供が納得できるように説明しようと試みもしない。特に私はその時、まだまだ実母が恋しい4歳の子供だ。まだ数回しか会っていないお姉さんのことを、はいそうですかと割り切って「お母さん」なんて呼べるはずがない。離れてしまってはいるが、私の本当のお母さんは別にいるからだ。
どうしてそのお姉さんを「お母さん」と呼ばなければいけないのか?言葉にしたかったが、”言ってはいけない”気がしたのでその場は黙っていた。
そのお姉さんはとても優しかった。実はしばらくの間、父のいないところでは「お姉ちゃん」と呼んでいた。彼女自身も「私のことをいきなり”お母さん”なんて呼べないやろうから、呼び名は何でもいいよ」と言ってくれていた。彼女も私も、お互いに嫌いとか、受け入れられないとかではなかったように思う。単に時間が必要なものだったのだろう。
「お姉ちゃん。」
ふと父のいる場所で、いつものクセでそう呼んでしまった。瞬間、私は今言った言葉を口に戻すべく、バチンと口に手を当てた。同時に、変な汗が背中を伝う気がした。
父の顔を見るのが怖くて仕方がなかったが、もしかしたら聞こえてなかったかもしれない。淡い期待にすがって、恐る恐る顔を上げた。
「”お母さん”って呼べって言うてるやろ!!」
「子供にいきなりは、無理やって。呼び名は何でもいいって、Maiにも言うたよ。」
「アカン!慣れさせなアカン!」
「でも…!」
「お母さんって呼べ、そう言うたやろ!」
「…。」
いつもの優しいお父さんじゃない。お父さんが怖い。涙は自然と溢れてくるが、言葉は何一つも出てこない。
「…泣くな!!」
怒鳴られて、体がビクッと震える。恐怖で背中はどんどん丸まってしまう。
「(お父さんが怒ってる、泣いたらアカン。泣いたらアカン。)」
涙は止まるどころか勢いを増す。我慢するから、泣きしゃっくりが出始める。それが父をさらにイラつかせる。何をどうしても、父の気に入らないことは全てこういう悪循環の源なのだ。
「お前はいつもそうやって、すぐに泣く!泣いたらええと思うな!」
「(ちがう、止まらないねん)…うっ…うっ…」
「泣きじゃっくりを止めろ!!」
「もう、そんな言わんくても…。自然に収まるまで待ってあげて!」
お姉さんのその言葉で父は怒るのを止め、その場を去った。「お前みたいな娘にはウンザリや」というような目で私を一瞥して。お姉さんは急いで、彼の後を追いかける。父はいつも、荒らすだけ荒らして、どこかに行ってしまう。
その場に取り残された私は、抑えていた涙としゃっくりを解放した。その時頭の中で思っていたことは、父は私が泣くと怒る。泣くのは”悪い”こと。あのお姉さんを「お母さん」と呼ばないと、怒られる。私の気持ちを伝えるのはダメ。父の言うことに疑問を呈することもダメ。ダメ、ダメ、ダメ…
まだ4歳だった私は、その時から「見つからないように泣く」技術をつけていった。父に怒られないように、彼にとっての”いい子”でいる努力を始めたわけだ。
そして、お姉さんのことを「お母さん」と呼ぶようになった。父は、私の感じていた違和感や疑問、実母を恋しがる気持ちになど気づいてもいなかっただろう。満足気にニコニコして、私と新しい「お母さん」のやりとりを眺めたりしていた。さも、「オレがこの幸せな家庭を提供してやったんだぞ」と言わんばかりに。
新しいお母さんは、家事も頑張ってくれたし、美味しいご飯も作ってくれた。彼女なりに一生懸命私達の「母」をしてくれていた。私は彼女に対して「育ての母」として、心から感謝している。
でも最近、もしかしたら彼女は、私のことはあまり好きじゃなかったのかもしれないと気づいた。いくら振り返ってみても、”母と娘”として愛されていた実感が、思い出の中に見つけられないのだ。私の「新しい母」は、私を「新しい娘」とは認めてくれていなかったのかもしれない。
いつまでも彼らを「家族」と思っていたのは、私だけだったのだろうか。