よかった。 私、ちゃんと人間だった。
私は家族からしたら、ペット同然だったのかもしれない。
両親は怒っているのが常で、耳を塞ぎたくなるような酷い言葉を浴びせられていたのだけど、機嫌の良い時は優しくなる。ほんと、人が変わったみたいに。
犬にもこんな扱いはしたらアカンねんけど、飼い犬は鉄パイプで殴られたこともある。体罰で分からせるのが、我が家の「常識」だった。
親から呪いの言葉を聞き続け、家族から離れても自分は無価値だと思っていた。でも最近は心の中でもそんな事を思わないし、卑屈にもならない。旦那さんの言葉のおかげかな。大げさな表現かもしれないけど、初めて、人間扱いされているように感じた。
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「謝らなくていいところで『ごめん』を言わない」
反射的に、何に対しても謝ってしまう。
「お醤油買い忘れた!ごめん。」
「旦那さん、今日ミーティング?また忘れてた。ごめん。」
旦那さんはキョトンした顔をする。「自分が何も悪くないのに謝らないの。それは癖になってしまうからね。」と言う。これまでは悪くないことまでも謝ってきて、仕事や人間関係で悔しい思いも何度もした。
「ごめん」も「ありがとう」も適切な場面で使うから、言葉の重みやありがたみを発揮するもの。
今は、謝るべきがどうか、反射で言わないように意識している。なんでも「ごめん、ごめん」と言われると、ほんまに思ってんの?と疑われることもあるし、お礼を述べる場面で謝ると、相手が申し訳ない気持ちになるかもしれない。
「『義務』で何かをしなくていい」
過去の口癖は「〜しなきゃ」。やりたくない事ばかり考えて、嫌々終わらせる。効率も悪いし、作業も家事もはかどらない。
英語話せるようにならな、旦那さんに迷惑がかかる
家事をしなきゃ。めんどくさいな…
昼寝や読書したい、でもあれやらな…
実際は旦那さんが率先して家事も料理もしてくれるけど、お願いすることもいけないと感じてた。彼にはそれもお見通し。私の隣に座って、お互い向き合う。彼はしっかり私の目を見る。
「Mai、『義務』で何かをせんでいいねんで。今、やりたくないならやらんでいい。オレに迷惑がかかると思ってるなら気にしんでいい。迷惑かどうかはオレが決めること。」
ハッとした。「迷惑」、ってこっちが決めつけて、勝手に気負いしてるだけ。それに彼は、私がやらなアカンことも後でやると知っているから、「今」やりたくないならしなくていいって言う。無理に何かをして機嫌悪くなる方が、夫婦間の空気も悪くなる。最近は後回しでも大丈夫なことと、今しとく方がいいことの優先順位をつけられるようになった。
「奥さん、女性、の前に『ひとりの人間』」
「奥さんやのに、家事サボるなんて…女性やから、◯◯はしたらアカンよな」
バッタモン家族では「女のくせに」ばかり言われて、継母は嫁いだ瞬間から「ひとりの人間」としての考えや行動が許されてなかったように思う。でも旦那さんは性別や役割で話をしない。いつも対等に見てくれる。
「奥さんとか、女性である前に、Maiは『ひとりの人間』。ひとりの人としてどうしたいかを考えて、オレに教えて。」
彼が、神々しく見えた瞬間だった。
「Maiはどうしたいの?」
人の顔色を伺ってばかり。自分の「気持ち」ではなくて、相手の望む答えを探してた。
「オレ『が』ほしい言葉なんか探さんくていい。それが本音じゃないことくらい、分かる。Maiはどうしたいの?オレは、Maiが思っていることを知りたい。」
この人の前では、全部バレる。同じことを何回も言われて、ようやく引き出し方が分かった今、自分の頭で考えて、彼の顔色を伺わずに言葉を発することができる。
「泣いてもええんやよ」
バッタモン家族を思い出して、スイッチが入ったみたいに涙がポロポロ出てくることがある。終わったことで泣くなんて鬱陶しいと思われるかもしれないから、頑張って涙を堪える。頭を撫でてくれて、背中をさすってくれる旦那さん。
「泣いてもええんやよ。そんな簡単に割り切れるもんじゃないと思う。」
これまでは泣いたら家族に怒られてたけど、今は安心して泣ける。その場所があるだけでも、気持ちが楽になる。
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人は愛され方を知らないと、自分の愛し方も分からないもんやね。
今だから分かるのは、当時は自分を虐めている方が楽やった。だって嫌なことに向き合わなくて済むんやもん。私が卑屈になっても一切声を荒らげない、拗ねてる子供に優しく話しかけるような旦那さんの態度に、もっと自己嫌悪。
「私は、ただのワガママ。彼の優しさに甘えてるわ…」
自分と父親の姿が重なった。嫌なことに向き合いたくなくて、間違いを指摘されるのが悔しいから暴力で相手をねじ伏せる。
暴力は強さではなく、自分の弱さをごまかす行為。
このままやと一番なりたくない人に、自分はなっていくんじゃないか。背筋がゾゾッとした。ひとりの人として見てくれて、信頼してくれる旦那さんのためにも、もっと良い自分になりたいと感じた。そこからリハビリ。何度もやり方が分からなくて、失敗して、指摘されて泣いて、諦めたくなって、を6年半繰り返してきた。
心の中はカラカラに干からびた状態やったけど、栄養と愛情を注ぎ出してからは手入れされた庭園みたいになっている。大事にケアして、成長させて、もっと豊かにしていきたい。