
「嫁の前に1人の人間」で夫婦円満
「嫁」は、しんどい日でも毎日ご飯をしっかり作って、旦那さんを子供のようにケアして、毎日お化粧をしていつでも出かけられる服装にしておかないといけない。
自分の継母を見てそう思っていました。
2年前に私は旦那さんと結婚。頭の中では常に、家事や育児に疲れた継母の顔を思い浮かべて、「家事や彼の身の回りのことも、全部完璧にこなさないと彼に嫌われてしまうんじゃないか」とプレッシャーがありました。
でも旦那さんは泣き虫な私も、おっさんみたいなゲップする私も、気分が変わりやすい私のことも、笑って「Maiっておもろいな〜」と言ってくれます。
私がしんどい日にはご飯を作ってくれたり、お互いの好きな物をオーダーしたりします。「好きなことをしたり、休んでたりしてええから」と言ってくれます。それでも「嫁としてちゃんとせな…」とつぶやくと、必ず言われる言葉。
「”嫁として”とか面倒やよ。『Maiとして』どうかで決めて。嫁である前に1人の人やねんから。」
この瞬間、”人間扱い”されることの意味が分かりました。私は旦那さんに「こうしたい」って言うていい。ご飯も作りたくない日は作らなくていい。家事したくなくて、ボーッと過ごしたい時はそうしていい。私を押さえつけて我慢を強いる、バッタモン家族のような人はいないんだ、と心が軽くなりました。
継母は、父に押し付けられた”完璧な奥さん”にならないといけなくて、家政婦や彼の母親同然のような存在だったと思います。「嫁」は、旦那さんのお母さんや所有物になるんじゃない。相手は大人やねんから、ご飯を作らなくても何とかするし、してほしいことは言葉にすればしてもらえる。私は自分で、”(幸せじゃない)完璧な奥さん”になろうとしていました。
両親を見てきて思ったのは、お互いに何もかも相手に押し付けていたから、「私/オレばっかり、あんた/お前は旦那のくせに/嫁のくせに…」と言いたくて仕方ない状況だったと思います。
幸い、私の旦那さんは大体何でも私の気持ちを理解してくれて、やりたいことを応援してくれるおかげで夫婦関係が上手くいっているのだと思います。それに甘えず、私自身も「してほしいことは、言葉にしないといけないな」と心がけています。
5年くらい前の私は「彼氏なら察してよ」と言うばかりで、時間と自分の気分を消耗していました。あんな生産性のない時間を過ごすよりも、自分の気持ちを吐き出して、してほしいことを伝えて、仲良く笑っている方が楽しいです。
お互いの努力は必要となるけれど、「こっちがこれだけしてるんやから、相手も私にしてくれて当然よな」と見返りを求めず、相手のためにできることを考えたり、相手の気持ちも理解しながら、自分の気持ちを分かってもらえるように冷静に話したりするだけで、人間関係は円滑に進みます。
”私として”行動して考えることで、お互いに「旦那のくせに…」、「嫁のくせに…」と言わないし、男女としてだけでなく、人としても尊重し合えると私は思います。
結婚生活2年。小娘なりに思ったことでした。