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「子供を持ちたくない」のは、失ったものの代わりにしたくないから

今年の本屋大賞ノミネート作の『夏物語』を読んだのをキッカケに、「(今は)子供を持ちたくない」理由を言葉にしてみたくなった。本の感想ではなくて、今まで自分が感じてきたことを書いたもの。


「死ぬ」こと同様に、「生まれる・産む」ことについて考えるのは難しい。

中学生くらいの頃、子供を産むってのは親の身勝手だと思っていた。毎日のようにサンドバッグにされて、耳を塞ぎたくなるような言葉を聞かされて、親の愛情には条件が必要だった。そんな家族の中で自分の存在価値を見いだすのは、四葉のクローバーを見つけるくらい難しかった。

 「自分が生まれてきたのは何でなん?」
 「私なんか産まんかったら良かったのに。勝手に作ったのはそっちやろ。」

思春期はそうやって過ごしていた。大人になると、結婚したら子供を持つのが”普通”で、それをしないのは”女”としてあり得ないと、父親の価値観を刷り込まれていた。私からすれば、女性を性欲処理機のように考える父親があり得ない。

20歳で立てた目標は、23歳で結婚して、25歳で子供を産んで育てる。それより後のことは、継母のように子供と旦那さんに尽くして、自分の人生は全て犠牲にして後悔しながら死ぬんやろうな。そんな悲しい未来予想。

予定は狂うもので、婚約をしたのは6年前の24歳の時。籍を入れたのは27歳。子供は、いない。

うちら夫婦は子供が大好きやし、旦那さんは素晴らしいお父さんになると思う。彼との間に子供が生まれても、私が育ったような家庭にならない自信もある。でも今の私には、自分で産む、それ以外の手段を考えても、子供を持つって考えができない。理由は、自分の人生を楽しみたいから。

きっと、バッタモン家族から離れたことも影響したんやと思う。親の身勝手で誕生したけど「この人生に意味を持たせるのは、私自身やん」ってこと。生きるも死ぬも、悲観的に感じる時だってあるけど、自分の存在を完全になかったことにはできひんねんから、親を憎んでも意味ないなって。私の人生は私のもんやし。

子供がいる人からすれば「子供がいても人生楽しめるよ!」、「子供を持てば、考えが変わるよ!」と言われても、そうじゃないねん。子供時代は記憶喪失か!ってくらいに物事を覚えていない。家族のために自分の人生がある感じで、体がいつも風船みたいにふわふわしてた。

人生を楽しむ、ってのは「自分のことだけ」に集中したい。これまで出来ひんかった何かを達成する、何かを楽しみながら学ぶ、自分の心に耳を傾けて考えを深める、やりたいことを気兼ねなくやる。

そう言うてたら、年齢も重ねて子供を産むのが難しくなる、すぐ授かるとは限らない、違う方法で子供を持つことを考えるかもしれん、もしくはいつまでも準備ができひんのかもしれへん。

だけど私が行き着く答えはいつも、「(今は)自分の人生を生きたい」。旦那さんも今は子供は望んでいないみたいやけど、私ら夫婦の意見がいつまで一致するのかも分からへん。もし今後、子供を持ちたくない私とお父さんになりたいと望む彼になったとしたら、彼をお父さんにしてあげられる準備が整うのか…それだけが不安。

これからのことは分からへんけど、「今」はとりあえず夫婦2人で楽しくやっていきたいな。


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Mai🍁いとをかしな日常
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