「子どもの主体性を伸ばす」ためには
私は仕事がら子供の意思を聞く場にいることが多い。
「 自分の想ったことを言っていいよ」
「 好きなこと、やりたいことをしていいよ」
そこで多く見られるのは、
フリーズして動けなくなるか、
私や親の目を見て何をするか決める子どもたち。
もちろん自分のやりたいことをガシガシ言える子もいるし、
自分のやりたいことをやっていいなら、と目を輝かせて夢中になる子もいる。
ただ一方で、一定数の子たちは、周りの目を気にして、自由な場で自由になれないのだ。
なぜ、そんなことが起きるのか。
それは、子どもたちのせいではない
と声を大にして言いたい。
彼ら彼女らの生きてきた環境、もっというと周りの大人たちの関わりのせいで、
自分の意思や表現したいことが外に出せなくなっているのだ。
もはや自分の意思すら掴めなくなっている子もいる。
周りの大人は言うだろう。
「子どもたちがやりたいことをやらせてやりたい」と。
ただその前提に、
「少なくとも学校には行ってほしい」だとか
「みんなと同じように」とか
「先生の言ったことはしなさい」とか
無言の期待があるように思う。
その期待を、敏感な子どもたちは受け取り、
一生懸命に応えようとする。
結果、いざ自由な場で
自分の意見や、自分の好きなこと・やりたいことを求められても、周りの大人の期待に応えることしかできなくなるのだ。
さて、私は福岡でドラマスクール(簡単にいうと、子どもたちが自分たちで年に一回、ひとつの芝居をつくる)という活動に関わっているが、
子どもたちに対して「こうやってほしい」なんてないし、「こういうふうにしてください」もない。
「こういうのやろうと思うんやけど、どう思う?やってみる?」
という声かけからはじまる。
嫌だったらもちろやらんでいい。
でもみんなで楽しめた方がより楽しいから、時に、どうすればみんなで楽しめるかを考える。
ただ、まずは、
「今、自分はどんな気持ち?どうしたいの?」
この問いかけに、何の迷いもなく応えられるような環境を作っていくことが、
今の子どもたちにとって、すごく重要なことと思う。
「今はこの時間だからこれしましょう」
この一方的な"指示"しか、ない、世界に生きる子どもたちは、
そりゃ将来やりたいことも、
自分の好きなことも、
分からなくなるわけだ。
「子どもたちに主体性を」
というならば、
本当の意味で大人が子どもを手放す必要があり、
子どもの主体性を伸ばすためには、
大人が変わらないと、何も変わらない。
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