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■私たちは何を望みたいのか?

「ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない。」(「サピエンス全史」ハラリの結語)

最近ChatGPT4oが発表になったばかりで、そのデモに衝撃を受けた人は多いだろう。もちろん自分もその一人だが、モヤモヤとしつつ思い出したのが上のハラリの言葉。この言葉はこの最新AIの状況を先取りしたものだったではないか。ハラリの言葉は、ChatGPT4o にグッサリと突き刺さった。

今回の 4o(omni) は、それまでバージョンが聞けば応えてくれるパッシブ/リアクティブな存在感だったのに対して、よりアクティブあるいは自律的な存在感を感じる。2〜3年前に東大の松尾先生の「眼としてのAI」という内容の講演を聴いたが、まさにそういうものの実装であり、それによって自律感がこんなにも高まっているというのはなんだか不思議な感じがする。

ChatGPT 4o デモ:https://x.com/woodstockclub/status/1790180452713779660
https://x.com/ctgptlb/status/1790088896619180330

ハラリが上記の言葉を書いたのはもう13年前だし、自分が読んだのは5年前のことだ。

デザイナーとしての自分にとって、この問いは次の問いと本質的に同型である。

「もしもあなたが全能の神だったら、今、あなたは何をするか?」

人は「全知全能の神」という概念を想念したが、自分がそういうものを手にするといった事態を、真面目に考えたことはなかったのではないか。なぜならそれは、ある意味で「つまらない問い」だから。前提があまりに荒唐無稽で馬鹿げすぎている。そういう問いは、問う価値があまりない。

もちろん4oが全知全能であるわけではないが、でもこれは、ほんの一つのバージョンにすぎず、このあともつぎつぎとわれわれを驚かせ続けるだろう。
だから「全知全能」という問いを問うのはもはやぜんぜん遅くない、と思うのである。

たぶん、ハラリはそんな思いでサピエンス全史を綴り終えたのではないか。すごいぞハラリ!

繰り返しの指摘になるが、自分は映画ターミネーター式のAIが人類を滅ぼす的なシナリオには信憑性を感じない。

そうではなく、全知全能(近く)になった人の、生きることのモチベーションの低下や喪失といった事態を心配する。むしろ「レミングの伝説」の方によりリアリティを感じる。

240515

■私たちは何を望みたいのか? 2

先日、上記の「私たちは何を望みたいのか?」ということを書いた。
昨日友人のYさんと話をしていて、次のような指摘と確認がされた。

この「サピエンス全史」のハラリの最後の言葉は、「私たちは何を望みたいのか?」が問われているのであって、「私たちは何を望むのか?」ではない、という点が面白いし意味があるのではないか。

そう、そこが自分がハラリを引用した肝要な点だ。先の自分の文章では、そのことをうまく焦点化して説明できていなかった。
あらためて少し説明を加える。

つまり
  「あなたは何を望むのか?」
と問うているのではなく、
  「あなたは何を望めばあなた自身が満足すると思うのか?」
と問うている。

つまり
  「望んでいるもの」
を問うているのではなく、
  「望むということ」、それをあなたはどう考えるか?
と問うている。

自分はそう捉えた。
言葉としては小さなちがいだが、意味するところは大きくちがう。

原文(英語?)でどのような表現になっているのか、知っている人がいたら教えてほしい。

240528


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