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連ドラにおける「ベランダの網戸」を語ろう

私の実家マンションに今月、外装工事が入るんだそうだ。そのために、ベランダの網戸をはずしておかなきゃいけないって父が言う。

我が家の構成員は、父・母・私の3名。私には夫も子供もない。こういう力仕事のたぐいを、ある時点で父が完全放棄宣言をしたため、それ以降は母か私がその任にあたってきた。もちろん、今回は私がそれにあたった。この中では私が、いくつになろうと、一番の若手だからだ。

がこん、と持ち上げて、ばこっ、とはずす。その扱いには慣れている。食器棚を少し前に出して壁側にすき間を作り、そのすき間に網戸をそーっと収納しながら、私は最近観たドラマ番組を思い出した。

NHKBSで始まった『団地のふたり』。小林聡美と小泉今日子が演じるのは、古い団地に住まう幼稚園以来の幼なじみだ。ふたりは毎日のように行き来して、小林聡美が作る夕ごはんを、一緒に食べたり食べなかったりする。ある日ふたりは、同じ団地に住む由紀さおりから頼まれごとをする。破れた網戸の張り替えである。

そんなことまるでやったことがないふたりは、動画サイトを参考に、見よう見まねで網戸を張り替える。そのことがほかの奥さん方に知れると、たちまちふたりは網戸の張り替え師として、団地内ブレイクを果たしてしまう。大人気。引く手あまた。こんどは名取裕子の部屋の網戸を、ふたりはひょいひょいと直していく。

奥さん方は、網戸のあれこれを、身のまわりの男性陣には頼まない。あちこち破れたまま、触らずに、ずっとそのままにしてきた。この心理が、うまく伝わるだろうか。彼らに頼むのは、なんというか、気安くないのだ。「感謝」や「見返り」が介在して、どうもオオゴトになりすぎる。

ベランダの網戸とくれば、もうひとつ思い出すドラマがある。松たか子主演、『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年)。主人公には、結婚歴(と離婚歴)が3度ずつある。今は思春期の娘とふたり暮らしで、その住まいのベランダの網戸は、なぜだかやたらとはずれやすい。

彼女をあきらめきれない3人の元夫たちに対して、大豆田とわ子は啖呵を切る。私は、必ず幸せになります。でもそれは、あなたたちとじゃない。網戸をはめ直してくれる誰かが、どこかに必ずいてくれる。必ず見つけてみせるんだからー!

そして、物語の終盤。大豆田とわ子はオダギリジョーと出会い、意気投合する。たやすく網戸をはめてくれるオダギリジョー。押し寄せる安堵感。

けれど、物語の終わりに彼女は、自分で網戸をはめられるようになるのだ。

「ベランダの網戸をはめてくれる誰か」と手を取り合って生きる人生は、もちろん素敵なんだろう。けれど、そうしない幸福を、連続ドラマはいよいよ描き始めた。最近だと、高橋一生・岸井ゆきのの『恋せぬふたり』あたりもそうだろう。いいぞ。「幸福になる」と「恋愛(結婚)をする」が、やっと同義語じゃなくなってきた。

「恋愛(結婚)」がどうしても「幸福」とは思えない人生を私は今も歩いている。だって、人間は変わる。いつ、誰がどんなふうに変わるのか、まるで見当もつかない。もしその人が、私の父みたいに、ある日突然すべてがめんどくさくなってしまったら? 糸という糸がぷっつりと切れて、突然、完全放棄宣言されちゃったら?

我が実家マンションの外装工事は、なんと来春までかかるという。再び網戸をはめ直す頃、私たち家族はどんなふうに変わっているだろう。父と母は老いていく。オダギリジョーは現れない。私はますます、肉体的にも精神的にも、いろいろとへっちゃらにならなくちゃいけない。

頑丈なおばちゃんになろう。頑丈で、ほがらかなおばちゃんに。建付けの悪い網戸をにぎやかにこじ開けては、ベランダで伸びをして1日を始める。誰かに何かを期待したり、期待されたりしない。朝散歩とか昼ビールとか、好きなものたちを大いに駆使して、むふむふケラケラ笑いながら、上機嫌なおばーちゃんになっていきたいと思うのだ。(2024/09/10)





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