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夢、やぶれてよかった。
なんだかちょっと、面白いな、と思い始めている。
今までここに書き連ねてきたように、私は長らく自分のことを「ライター」であると標榜していて、けれど「お金をもらって文章を書く」機会がどんどん減っていき、長い時間をかけて「自分(の文章)は求められていない」を諦めでも悲観でもなく受け入れられたところに新しい職が決まり、そこの居心地が思いの外よくて、ああ人生ってこれでいいんだな、闘魂とか筋トレとかせずとも、幸福な人生を生きてもいいのだなあと、腹の底から実感したとたん、
とあるお得意さま雑誌が盛大に炎上し、その翌日に、7年続いた書評連載の終わりを告げられた。
私は一時期、いわゆる「スピ」系の人たちと多く関わりがあった時期があって、その人たちが口を揃えて言っておられたのは「人生、自分が信じていることしかやってこない」「あなたの人生にいいことが起こらないのは、あなたが『人生においていいことなど起こりはしない』と信じているからだ」的な言説だった。
そういう人たちの言い分に、もういちいち右往左往することはないのだけれど、でも「誰もが自分のメガネで世界を見ている」「自分のものさしで世界を測っている」という点においては、ちょっとうなずけるところがあったりなかったりするのだ。
「ライターである以上、是が非でも手放してはならない!!」と、ぎゅうぎゅうに握りしめていた「書評とテープ起こし」が、向こうから、さらりと手から離れていく。
意外と、これが悲しくないのだ。むしろ、なんだか身軽な気持ち。
自意識の問題ではなく極めて現実的に、右をみても左をみても1ミリも「ライター」じゃなくなった私は、じゃあどんな文章を書くんだろう。あるいは、書かないんだろうか。
どっちの人生も、アリだと今は思うのだ。
ひとつのことに生涯かけて取り組むことも、何があっても不屈の精神で闘い続けることも素敵だけれど、これから先、人と心を交わしたり、その心を案じたり慮ったりしながら生きていくにあたって、
「夢やぶれる」という体験を、人生において1度でも、できてよかったなと思うのです。(2021/01/27)