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「はたらかない」をやってみる。

結局、仕事を辞めた。

様子がおかしくなったのは7月の半ばだ。仕事中なのに、流れる涙を止められなくなった。

上司たちはとても優しかった。ゆっくりでいいよ、しばらく休憩室で深呼吸してきて全然いいよと言ってくれた。私は、とりあえずトイレの個室に飛び込んで、涙がすべて出がらしになるまで泣いてみる。よし、気が済んだ、と思う。席につく。やっぱり声が震える。涙が止まらない。それがまた上司の目に留まる。

ひとしきり上司の前でしゃくりあげたあと、今日のところは帰ろう、と決める。上司や医者のいうとおり、少し欠勤して、久しぶりに職場に復帰してみる。するとまた涙が出てしまう。ひとしきり上司の前でしゃくりあげたあと、今日のところは帰ろう、と決める。上司や医者のいうとおり、少し欠勤してみる——。

その繰り返しだった。これ以上は無理だ、もう。

思えば学生だった頃から、「学校を出たら人は必ず働かなくてはいけない!!」と思い込んでいた。就職超氷河期のアオリを受けて、仕事に就くこともできなかった頃は、プータローをしながら、いつだって自分を責めていた。「仕事がない」イコール「誰からも求められていない」だった。それは、とてもみじめなことだと思っていた。

でも今回は、なんだかちょっと違うのだ。「必ず働かなくてはいけない!!」を手放そう、と思っている。

よく考えたら、出世とか向上とかをばりばりと目指さなくてはいけない世代を、私はとうに過ぎている。ヒトカドの人物にならなくちゃとか、「何者か」にならなくちゃとか、そういう頑張り方は、もうしなくていい。だってそんなもの、誰も私に、求めてないじゃないか。

そう気がついたとき、なんだろう、ものすごくほっとしたのだ。なんだ、全部私ひとりの思い込みじゃないか。

派遣会社さんと面談をして、退職の意志をぱっきりと伝え、社会保険とか厚生年金とかの手続きをして、無罪放免となった午後、ひとり乾杯をした。クラフトビールが2種類あったので、もちろん、両方とも飲んだ。

さあ、これから何をしよう。

今までなんとなくあとまわしにしてきたものたちを、もうあとまわしにしなくてよいのだ。まず、親たちといっしょにいたいと思った。それが実現できなくなる日が、いつか必ずやってくる。

それから、そうね、本でも読もうかな。かつて書評を連載していたくせに、そのとき読んだ本たちの中身を、私はまるで思い出せないのだ。当時私はいったい何を読み、何を書いていたのか、それもまた、思い出せないのが恐ろしい。

あとは何か「つくる」ことがしてみたいな。絵を描くとか、手芸するとか、なんかそういうの。

今回の状況の何が素晴らしいかって、それらのことをやってもいいし、やらなくてもいいのだ。

そして再び立ち上がる日のことを、今は、まるで考えない。立ち上がりたくなってから考える。

今はただ、あの席に座って、パソコンを立ち上げ、インカムを装着して、着信音に緊張し、ペンを握りしめてお客さまの言い分をすべて書き取り、わざとすごい早口でしゃべってくるお客さまや、こちらが何を言っても聞き入れてくださらないお客さまのお相手をして、話がこじれれば赤い札をあげて上司を呼び、半泣きで1本の電話をなんとか終えて、深呼吸して、また次のスタンバイをする、

という一連を、もう二度としなくてもいいのだと、その幸福感が、それはそれはえげつないのだ。(2024/08/11)

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