「挫折」について語ろう。
つくづく、ショックの強い二文字だと思う。もう人生がひとつおわってしまうみたいな、そういうニュアンスがそこはかとなく漂う二文字だ。でも、40代終盤に差しかかると、実にライトな、挫折のかけらを、自分は確かに、いくつも経てきたなあと思う。
「あいにいく」というインタビュー連載サイトを運営していた時期がある。日本全国の、有名無名にかかわらず、きらめく何かに取り組んでいる、きらめく誰かに会いに行って話を聞く。聞いた話を、私の目線と、私の言葉で文章に紡ぐ。それを集めたら、タペストリーみたいに世界をとらえられるはず。そんな営みを、何だったら一生、やっていたいと思っていた。
スタート当初、それはもう有頂天だった。島根や京都や名古屋へ自腹で行ったり来たりしていた。お金はどこからも発生しない。それが誇りだと思っていた。
企画を始めて何年も経った、ある回のことだ。ひとつの出来事について、「Aだ」って言う人に話を聞き、「Bだ」って言う人にも話を聞いた私は、Aさんを主人公にするにあたって、Bさんの言い分を全面的に省いたのである。どちらの意見も、真実だった。どちらもあまりにも真実すぎて、途方に暮れた。「両方とも真実」を軸足にしようとすると、身動きが取れなかった。言葉ひとつも、ひと文字も、この指は叩き出すことができない。
自分という入れ物の、小ささを知った。私は、だれかひとりの風景だけでもういっぱいいっぱいのライターなんだ。「A」と「B」と「C」を取り揃えて、世界全体をバランスよくとらえて描く、そんな文章がいつか書けると思っていたけれど(何ならすぐにでも書けると思っていたけれど)、自分はその技量も筋力も持ち合わせていなかった。もともと、それ用の身体つきをしていなかったのだ。
「目指すもの」には、がんばれば、いつかたどり着けるものだと思っていた。がんばれば、技術があがって、できるようになるもんだと思っていた。
全然違った。
これが私の、40代に突入してから食らった「プチ挫折」だった。「一個人の眼差しを通して世界をとらえたい」なんて、いったいどの口がほざいておるのだ。この瞬間、私の中から「目指す」が消えた。
……さて。肝心なのは、ここからである。
目指していたものが手のひらからすべって落っこちた場合。自分にはそれは不可能なのだと思い知った場合。起きている事象をまとめると、たとえば私の場合で言うと「自分には客観的に世界を見渡すことができない」となる。
でもね。「できない」の眼鏡で眺める景色って、めーーーっちゃ悲しいんである。
この時点で、すでにだいぶ大人になっている私は、そういうときの、世界の反転のさせ方を知っている。「客観的に世界を見渡すことができない私」は、逆に言うと、
「だれかひとりの視点になりかわって、そのひとに見えてる世界を主観的に書くこと」が得意!
「これしかできない」と思うなら、むしろ、反転の術の使いどきだ。「これしかできない」のではなく、「これなら、すごくできる!」って思う。
……ように、している。
ささやかな挫折のかけらを、ひとつも味わわずに生きてる人っていないだろう。やりたかったことができなかった、そんな体験はだれにでもあるはずだ。それでも、落ちない。倒れない。世界を反転させて、「得意」に変えて次に行く。
私が「ライフ・ストーリー」に取り組むことにしたのは、そんな理由もあるのである。(2020/05/28)