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肯定も否定も、どっちも真実。

家族で過ごすお正月休みを、無事に終えた。去年はいろいろありすぎたので、3日間、家族一同、穏便に過ごすことが、私のファースト・ミッションだった。去年の大晦日みたいなことが、あってはならない。常にゆかいに楽しく過ごし、私が実家を出る瞬間まで、みんな笑顔でなければならない。それがおおかた達成できて、ああ役目を終えたと胸をなでおろす、その寸前にコトが起きた。

ハハが、自宅へ向かう私と一緒に、最寄り駅までバスで一緒に来ると言う。なにやら、チチのいないところで、私に話したいことがあったようだ。駅の商店街の片隅の、人通りの少ない一角に立って、彼女はかばんをごそごそと探る。

「しーちゃんはよく、毎朝電車に乗って会社に通う人たちが、信じられないって言うでしょう?」

ああ、言いますねえ。尊敬の念を込めてね。私には、どうでんぐり返っても、あれはできないなあと思いますから。

「あの人たちが、何のために毎朝、電車に乗ってるかっていうとね……」

かばんから出てきたのは、小さく折りたたまれた紙の束だった。みると「All about Japan」の「年金」のページがプリントアウトされたものである。

「ほら、ここ、見てごらん」

そこにあったのは「初回受給額は国民年金5万円、厚生年金15万円」の文字だ。鉛筆で線が引いてある。

「あの人たちは、毎朝電車に乗ることで、国民年金の3倍ももらえるんだよ。しーちゃんは知らないかもしれないけど、社会に出て働くっていうのは、そういうことなの」

……カチッ、という音がした。何の音だろう。私の中の、何らかのスイッチが入る音か、もしくは時限装置がカウントゼロを迎えた音か。

私は20数年前、こういう就職活動を経ている。全敗を喫した結果、演劇ライターとして10数年を過ごし、今度は「どこからも仕事が来なくなる」という形でドロップアウト、今はテレオペ業務で糊口をしのいでいる。右へ出ても左へ出ても「居場所」は見つからなかった。「なにが起きてもずっと友だち♪」みたいな人間関係にも無縁だ。なにかに所属したり、誰かの役に立ったり、どこかに居場所を得ることが、自分には許されない。適応能力に欠けているのは自分なのだから、そのことを悲しむ資格もない。それが私の、この20数年間の人生実感だ——

……といった言葉たちが、気がついたら、すでに口をついて出ていた。社会不適合者として46歳になったムスメを前に、この期に及んで、「正社員になると年金が3倍支給されるのよ」って一体何の話だ。ごく普通の「正社員」になれない私に、おかーさんが、忸怩たる思いを抱いてることは知ってる。それでいて、黙って見守ってくれてたことも知ってるし感謝してる。でも、今! なぜ、今! 駅前で涙が止まらない。

泣きながら、同時に、自分で自分にびっくりしていた。自分はこんなにも屈折していたのか。自分はここまではりつめていたのか。そして私はこんなにも、私自身の人生が、哀しくてしょうがないのだ。「あなたの人生をあなた自身が愛せるように」とかなんとか美辞麗句をほざきながら「ライフ・ストーリー」を書きつづってきた、この私がだ。この私自身が、私自身の人生を、こんなにも嘆いている。ハハのちょっとした紙の束ひとつで、せきを切ったように、涙と怒りがあふれかえる。

特筆すべきは、「こんな私の人生なんて」と思う日も、「私の人生、最高!」と思う日も、どっちも同じくらい真実であるということだ。

どうやらハハは、ひとを見て書くことを生業とするはずの私が、「あんな人たち、気が知れない!」とか言い放っちゃえることが、無神経に見えたようだった。私の彼らへの尊敬の念は彼女には伝わらず、その敬意のなさを案じたらしかった。そのままだとしーちゃん、お友だち無くしちゃうわよ。おかーさん、それが心配。しーちゃんのこと、ずっと応援してきたのに。

ハハの言うことは、いつだって正しい。

ハハが実家へ戻るバスがやってきた。じゃあね、と言い残して彼女はすたすたとバス停へ向かう。その場でバスが行くまで見送ろうと思ったけれど、彼女が私から見えない側の席についてしまったので、私もあきらめて改札口へ向かう。

自分の人生を、もっと好きになろうよ!とか。

自分で自分を肯定してあげなきゃ!とか。

いったい、どの口がほざいてきたのだろう。

それができない者たちへの想像力なくして、幸せを説く資格が果たしてあるだろうか。人は、自分の今が、好きになれないからこそ希求する。幸福を、居場所を、自信と安心を希求する。その希求力こそが、地球を動かす。キラキラした日常を切り取って「こんな私の生き方(考え方)、素敵でしょう♪」「こんなに私、解脱していますー♪」をSNSに書き連ねてご満悦の皆さんは永遠にそうしててください。そこに私が生きたい幸福はない。私が書きたい幸福もない。私が欲しいのは、心の底から讃えたいのは、ずたぼろに傷だらけの人間が、泥まみれで立ち上がるときに手の中に残るきらめき。ただ、それのみなのである。(2020/01/04)


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