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争いと豊かさ、自分にできること
こんにちは。
少し前ですが、9/15福岡大学にて
植松努さんの公演に足を運びました。
行く前から、素敵な時間になることは確定していましたが、
やはり心の臓を掴まれて、グラグラに揺らされるような体験をしました。
「思うは、招く」
やりたいと思って諦めなかったらできるよ
という意味と受け取って持ち帰りました。
多くの金言があり、
植松さんの原動力、目的の話が自分のリンクしました。
これらのフレーズは一見、植松さんが行なっている事業、ロケットの開発とは関係がないかと思えるように映ります。
「私は、児童虐待をなくしたいんです」
「こうしている間にも、苦しんでいる人がいる」
「私がやらないといけないだと思うんです」
物事の表面だけを見れば、
ロケットを飛ばしたい夢追い人。
そんなふうに浅く受け取ってしまう可能性もあるだろうと思います。
でも彼は、「どーせむり」を「こうだったらどう?」
に変えて、どんな人でも挑戦ができ、
ダメな時はリトライできる社会を作るために、
ロケットを飛ばすことに挑戦しているのです。
もう一つ、
やってもらうだと、お金がへる
すれば、お金は無くならない、できることが増える、
もっというと、人から奪うことがなくなる。
何も自分で出来なければ、人にしてもらうしかない、
つまりはお金を払うしかない。
でももしこの時お金がなければどうする?
そう、「奪う」になってしまうのです。
そうなる結果、貧しい国では
「奪い」が多いのです。
自分もできず、お金もない、結果、
奪うしかない。
そんなことの積み重ねて、争いが生まれてしまうのだと思います。
自分でやれない、お金を払えない、奪う。
似たような形で、争いの火種を見ます。
自分の心が満たされていない、
満たしたい、でも自分で何かして、満たすことができない、
そんな時人はどんな行動を取るか、
そう、人から「奪う」のです。
言い方を変えると、
人の悪口を言う、批判する、どーせむりと勇気を奪う、不当に怒る、などさまざま。
人は心の豊かさを失うと、
「奪う」行為で、「争い」を産んでしまうと思っています。
で、何が言いたいかと言うと、
自分に何ができるか、という話です。
やりたいことは、
人の心に豊かさを生むことで、
争いの少ない温かい世界にしたいのです。
そのために、
明日も目覚めたくなるような豊かな心で
イキイキと生きる人が増えたら良いんじゃないかと思っているのです。
そうなれば、自分が満たされないで、
相手を攻撃するようなことは、争うようなことは
減るんではないかと信じています。
そんなことを自分のできることややりたいことで実現できれば、
この上ない喜びかと思います。
自分の行動原理の一つに、
争い(奪い合い)のない世界をつくりたい。
という志が増えました。
と、いうお話でした。
荻原