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クラウディ マンデイ
昔からある自分と同じ言葉を話せる人がいないという感覚。同じ国に住みの同じ言葉を使っているのに。普段忘れていたこの感覚がある時顔出して少しの間また寝食を共にするように僕の側にある。
久しぶりに予定のない休みの日だ。
昨晩気絶するようにいつのまにか寝てしまっていた。長くは寝てないが割とスッキリしている。
外は曇っていて動きがなく今の自分の心持ちと同調している。決して幸せではないが調和のようなものを感じる。
今の生活で普段会ったり関わったりしている人間達とは違う人間に会って話がしたくなってLINEを遡って古い知人を探しているところでまた冒頭に書いた感覚を思い出した。
もう少し若い頃はもっと顔も広くこうした時に久しぶりに会って話す誰かしらがいた気もするが今はそうではない。交友関係と呼べるものを円の輪としてイメージするなら限りなく狭くなって来た感じだ。
月並みに孤独なのかもしれないと思った。
そしてそれは決して悪いものではないとも思った。むしろ孤独だと確認することで身体や自分の存在の輪郭が明確になるような気がした。
思えば人は孤独だというこの厳然たる事実から顔を背けるためにほとんどの活動を行っているような気さえする。というか実際そうだろう。
「さみしさのフリーマーケット セールスし過ぎるのが不快だ」という歌詞を思い出した。
「お前は自分が何を話しているのか分かっていない。」という好きな映画の台詞も久しぶりに昨日の夜中に出会った。
一点の曇りもない曇り空とそんなことも相まってかさっき思ったような気分の平静さと調和の中にいる。
幸せではないが幸せだと思った。
そしてそんなものを人生の目的に据えるのは間違いだと思った。
と、ここでスッキリと乾く見込みのない洗濯物をいれた洗濯機から終了の音が鳴った。
正午を過ぎていた。