見出し画像

No.476 小黒恵子氏の紹介記事-42 (台湾のいけばな熱)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、 小黒恵子氏の生け花についての想いを紹介した記事 をご紹介します。小黒恵子氏は、草月流の生け花をたしなまれていました。

予想以上 台湾のいけばな熱 女性の教養の一つ 日本で師範とった人も

 国府(台湾)の蔣介石総統はことし八十歳をむかえ、生誕祭は十月三十一日、台北ではなやかに行われた。会場にあてられた市議会議場にはいけばなが飾られ、喜びに花をそえてたという。先月二十九日から十一月七日にかけ、日本から十一人のいけばな使節が台湾を訪れたが、そのひとり小黒恵子さん(草月流)は、熱心な台湾いけばな熱を次のように語っている。
 「台湾のいけばな熱は、日本で予想していた以上。作品には詩や歌をかならず組ませるんです」詩人・小黒恵子さんは、すっかり感激したようす。
 日本でいけばな展というと、作品だけ出しっぱなしが多いからだ。小黒さんは会場に赤く染めたホウキグサ、フジヅル、リンドウでいけてみたが、花材の多い台湾でも、リンドウは珍しがられたようだ。台湾の人たちの作品と合わせて七十点ほど出品されたが、「望郷」とか「いつの日君再び帰る」という題のついた作品が目をひき「自然木で船を型どり、真っ赤なバラの花を組み合わせたもので、とても印象的でした」という。
 花器一つとりあげてみても、日本でいま流行しているように、鉄を溶接し、自由な創作花器を用いているのもある。
 日本でいけばなの師範をとって教えている人が約三十人いるし、おもな流派はほとんどいるといってよいほどの人気だ。
 だから、会場には、若い人から老人までよく見にきた。そして作品の前にたちどまってゆっくり鑑賞する。台湾では、いけばなは女のやるものなどと思っているから男性でやっている人はいない。
 台湾で娯楽といったら、まず日本映画を見る映画館のあること。テレビは大きなレストランなどにあるぐらいで家にある人は少ない。喫茶店もなく、自家用車族などというものはめったにいない。だから若い人は学校が終わると女はバレーボール、男はサッカーにきまっている。こんな中でいけばなは女性の教養の一つとして独身の女の人たちに流行している。
 人の家を訪れた時、黄色いバラがいけてあったし、職場にもやはりいけばなが飾ってある。年に一度ぐらい、各流派集まって展覧会もする。しかし「日本の大使館には一本も花が飾られていませんでした」
台北には花屋が多い。カーネーション、菊でも日本の半値。
台北大を出た四十代の人で、月給二万円ではきついといいながらも、部屋には花を絶えさせないほど花好きばかりという。
 日本にある花ならなんでもある。そのうえサボテン科の南国的な花もある。
 「いけばなというと意識して日本的素材を使っていましたが、独特な素材を生かすともっとおもしろいでしょうね」小黒さんはこんな感想をもらしていた。

東京新聞 昭和41年(1966年)11月23日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1971(昭和46)年の童謡についての新聞記事をご紹介します。(S)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?