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No.531 小黒恵子氏の紹介記事-97 (かわさき文化人國記)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、新聞に掲載された小黒恵子氏の紹介記事 をご紹介します。

かわさき文化人國記  詩人 小黒恵子さん

プロフィール
 おぐろ・けいこ 一九二八年川崎市生まれ。中央大学卒業。NHKこども番組や小学校音楽教科書の作詞多し。主要著書『ユトリロの絵の中で』『シツレイシマス』『白馬の海』。数々の童謡大賞を受賞する他、環境保護活動にも力を入れている。自宅敷地内に童謡記念館を設立。高津区諏訪在住

上品な物腰から信じ難いパワー  多摩川は真に私の母なる川
もう十年以上前になるが、五十歳の誕生日をアフリカの空の下で迎えた。その時のことを題材にした『野生の大地アフリカの詩』は、心に残る作品のひとつ。
「上野動物園の園長がアフリカに撮影旅行に行くというので、私が車の運転をすることになったんです。さっそく国際免許を取って、サバンナをジープで駆け回りました。ええ、とてもいい経験でしたよ。」
上品な物腰から察し難いパワーが、ドレッシーな洋服に身を包んだ小黒恵子さんの内に潜んでいるらしい。

詩人、童謡作家として大活躍する小黒さんだが、そのスタートは意外に遅い。中央大学、法学部卒業後、いったん就職するが会社が倒産。不景気で職探しもままならない状態だったので、渋谷に純喫茶を開店。
そこで画家の谷内六郎氏と出会ったのだ。小黒さんに詩人、童謡作家の道を開いてくれたのは谷口氏だといっても過言ではない。もし、谷内氏に会わなかったなら、現在の小黒さんはなかっただろうという。サトウハチロー氏を紹介してくれたのも、装丁を引き受け処女作『シツレイシマス』出版のきっかけを与えてくれたのも、谷内氏だった。
「当時週刊新潮の表紙を描いていた谷内さんは、原画を見せてくれたんです。戦争の爪痕がまだまだ色濃く残る時代で、世の中は殺伐としていました。ですから、谷内さんが描くほのぼのとした世界、それに温かい人柄にすごく惹かれたんでしょうね。詩とか童謡とか文学とか、そんなものがあることを忘れていた私の目を、谷内さんが覚ましてくれたのです」
昭和四十五年に出版した『シツレイシマス』が新聞に大きく取り上げられたことから、あちこちから仕事が舞い込み、講演依頼までくる生活が訪れた。「おじけづいてはだめ。初めから上手な人などいないのだから、勉強だと思ってどんどんやりなさい」と、尻込みする小黒さんの背中を押してくれたのは母の喜満さんだった。
「童謡をとおして、緑の自然と生物への愛、そして平和の心を伝えたい」と、一昨年の七月、代々の屋敷を改築して童謡記念館を開館した。全国から送られてきたSPレコードは三百枚。童謡に関する貴重な資料や作曲者の手書き楽譜などの他、谷内六郎氏の作品も数多く展示されている。
「長いこと仕事をしていますから、それなりに印税が入ってきます。それで、記念館を運営していけるのですから、ありがたいことです」
開館二周年にあたる今年七月、新たにオルゴール館をオープンする予定とのこと。
生まれも育ちも高津区の諏訪。小黒さんにとって、近くを流れる多摩川は、自然の怖さも優しさも教えてくれた母なる川。
「この辺りのなし畑は以前はもも畑だったんです。それはそれはももがいっぱいで・・・・・・。小川も多くて、絣の着物姿の男の子が晩ご飯にしじみをとっているなんていう光景も珍しくなかったんですよ」
少女時代の小黒さんは、川原できれいな石を見つけるのが好きだった。穴があいたのや平べったいの、縞模様の。どれもが小黒さんの宝物だった。多摩川は水量豊かで鮎が捕れる時代だった。
自然があふれる多摩川のほとりで遊んだ子供時代。小黒さんの作品に植物や昆虫がよく登場するのは、きっと幼い頃のそうした思い出がいっぱいだからなのだろう。

現在、四人の子供たちと暮らしている。猫のバオちゃんと犬のトビー君、ダン君、そして九官鳥のQちゃん。大けがで瀕死の状態から奇跡的に生き返ったバオちゃんは特に可愛くて、つい甘くなってしまう。犬たちといっしょにバオちゃんも元気に広い庭を走り回る。
今年年頭、みんなのうたで流れた『エトはメリーゴーランド』は小黒さんの作詞。自分の干支が回ってくると思いっきり夢の翼に乗りたくなる気持ちを、詩にした。
(インタビュー・山崎ゆり子、写真・青木由希子)

多摩川新聞 平成5年(1993年)4月15日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1993(平成5)年の紹介記事をご紹介します。(S)

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