まちわびるのは、うましはる。

 昨今の小学四年生は、思った以上に忙しい、らしい。

 琴音もまた、ご多分に漏れずなかなかに多忙な小学四年生だ。学校以外にピアノと英会話の教室にも通っているから、なおさら。だから今日――三月三日のこんな時間に家でぶらぶらしてるなんて、奇跡だ。僕はむりやり仕事に一段落つけて、リビングでDVDを観ようとしていた琴音に声をかけた。
「パパとデートしようよ?」
 琴音が訝しげに眉をひそめる。ママと同じ癖だ。僕はにっこりする。
「きょーおはうれしいひなまつりー、だから、琴音の好きなコロコロちらし寿司を作ろうと思って。一緒に買い物に行こう?」
「パパ音痴」
 ぐさっとくる言葉とは裏腹に、琴音もにっこりした。すぐにDVDを片付けていそいそと出かける準備を始めた。

* * *

 いつものスーパーに着いた。入口でカートを引っ張り出してかごをセットする琴音。それを待って一緒に店内に入った。入ってすぐのところにはひな祭り関連のお菓子が山盛りになっている。
 桜餅食べたいな。いやいや鶯餅でしょ。じゃ、両方。両方かごに入れた。
 次は野菜コーナー。サラダ作る? レタス食べたい。じゃ、千切りレタスのサラダにしよう。きゅうりと、あとアボカド忘れないでね。ああ、そうだった。精肉コーナーは今日はスルー。鮮魚コーナーで刺身を見繕う。
「ピンクがきれいだし、やっぱりサーモンだね」
 僕がサーモンを手に取ろうとしたのを、琴音が難しい顔をして止めた。
「ママが食べないよ、サーモン」
 琴音の前では、僕もママも好き嫌いをした覚えはないけれど、確かにママはお刺身のサーモンは苦手だ。焼き魚なら好きなんだけど。そういって苦笑いを浮かべていたっけ。
「でも今日は琴音のひな祭りだから、琴音の好きなサーモンでいいんじゃない?」
 琴音はふるふると首を振った。
「ママだって女の子だよ」
 一瞬返事に詰まった僕に、琴音が畳み掛ける。
「ママのひな祭りでもあるもん。ママもおいしいって食べられるものにしようよ」
 それから琴音はお刺身のコーナーをじっくり見渡して。
「まぐろとほたてにしよう? 合わせたらピンク色だし」
 よし、じゃあ、それで。琴音が選んだまぐろとほたてもかごに入れる。彩りにいくらも。それから蛤。お吸い物作ろう。白出汁の素、買わなくちゃ。じゃあ、あっち。中通路の調味料コーナーを目指す。途中で遭遇した特売のマヨネーズとツナ缶も忘れずにかごの中。卵も買わなくちゃ。ちょっと戻って卵コーナー。牛乳切れそうだったよ。ああ、そうだった。いつもの牛乳も二本。最後にスパークリングの白ワインとりんごジュースをかごに入れて、レジに向かった。

* * *

 家に帰って、買ってきたものの整理をしながら料理の手順を考える。
「私にできること、ある?」
「そりゃああるけど。今日は琴音のお祝いだよ?」
「でもママは普段通りにお仕事してる」
 またママを引き合いに出された。僕は苦笑い。
「そうか。じゃあ、卵ときゅうりとレタスは琴音の担当にしよう」
「盛り付けもやりたい」
「はいはい」
 調理スタート。
 僕が米を研ぐ傍らで、琴音は卵をボウルに割り入れ、菜箸でちゃかちゃか混ぜ始めた。味付けはお砂糖とお塩と、お酒を少し。でもなくてもいいくらい。僕の言葉に琴音はうん、と頷いて、それらを静かにボウルに入れた。しゃっしゃっしゃっ。ちゃかちゃかちゃか。米を研ぎ終わって炊飯器にセットする頃には、琴音も卵焼き器の準備に取り掛かっていた。
 薄く油を引いて、卵液を半分、流し入れる。じゅー。いい音がした。
「あれ、うまくひっくり返らない」
 フライ返しで卵と苦闘する琴音に僕が言う。
「コロコロざくざく切るだけだから、ちゃんと火が通っていればいいよ」
「でもパパみたいにきれいな卵焼き作りたい」
 嬉しいことを言ってくれるねえ。
「卵焼きは難しいんだ。今日はそれで大丈夫」
 いまいち不満げな琴音に僕は笑いかけて、最初の一枚を取り置く皿を用意した。ぽん。出来上がったやや薄焼き卵は、確かに少し不恰好。でも、それでいいんだ。最初から上手にできる子なんていないんだし。二枚目はより慎重に焼いたからか、一枚目よりはきれいにできた。
 琴音がきゅうりとレタスを洗う。僕はアボカドと刺身をコロコロに切る。琴音がきゅうりをコロコロに切る。その間僕は、器を見繕って海苔を刻んで蛤を火にかけた。少しだけ冷めた卵焼きを切る頃には蛤が口を開けたから、一旦火を止めて蛤を取り出し、できた出汁は丁寧に濾した。琴音が楽しそうにレタスを千切り終わってご飯が炊けるまではしばし休憩。二人でお茶を飲んだ。お茶のお供は当然、桜餅と鶯餅だ。

* * *

 ピーピー、ピーピー。
 炊飯器に呼ばれて、僕はぱかっとふたを開けた。入れておいた昆布を取り出して、‏切れ目を入れてざっくり混ぜてしばし待つ。その間に酢飯の準備。市販の合わせ酢を取り出す。桶を出す。桶に合わせ酢を振ってなじませる。炊飯器からお釜を取り出し、ご飯をどさっと桶に入れた。琴音はうちわを持って傍らに待機している。
「気が利くねえ」
「まあね」
 酢飯ができたら、盛り付けるだけ。大きなお皿に酢飯を盛って、その上に卵、きゅうり、まぐろ、ほたて、アボカド。コロコロと盛り付ける。琴音はとても楽しそう。いくらを飾って、マヨネーズで斜めに線を描くのだけは僕がやった。最後に刻み海苔を飾って、出来上がり。彩りきれいなコロコロちらし寿司ができた。お吸い物の出汁の味も調って、千切りレタスのサラダも器に盛り付けた。冷蔵庫ではワインとジュースが冷えている。
 時計を見ると、もうすぐ六時、そろそろママが帰ってくる時間だ。
「ママ、早く帰ってこないかなあ」
 きっと喜んでくれるよね? リビングの真ん中、ケース入りのおひな様を眺めながら琴音が言う。当たり前だろ、僕は応える。
 僕たち二人の力作でひな祭りを祝うんだからさ。

 ほんと、早く帰っておいでよ、美晴。





#春を待ちわびる



↓登場した『コロコロちらし寿司』のレシピはこちら↓
https://note.mu/etsukomami/n/nec5614a0fccc

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