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日記漫画と「続き描いて」の悩ましさ
〇今週の日記漫画
もう小売店の店員が外国人ということはごく当たり前になったが、みんな日本語が喋れて凄い。そんな中だと、日本語のちょっとした不思議に気が付くことがある。というだけのこと。
〇「続き描いて」の悩ましさについて
漫画をこれまでいくつか描いてきて、本当にありがたいことに「おもしろかった!続きが読みたい!!」と言ってもらえることがしばしばある。これ自体は、心の底から嬉しい。
しかし…。
現実的な問題として、読み切り前提で描いた作品の続きを描くのは、非常に難しいと思う。なぜなら、
実は、続きが読みたい!と思われた作品は、無意識下ではすでに、飽きられてしまっていると思うからだ。
単純に、続きを描くという行為は、可能だ。普通、読み切りの作品でも設定はそのより深くまで考えるし、自分は「もし続き物になったら、どういう最終回になるか」を考えてから単作を描くから、続きとなればそのまま最終回へ向けて話を作ればいい。
しかし、ここで困ったことに、その考えておいた続きというのは、案外その「続きが読みたい!」と言ってくださった方の考えている「続き」ではないのではないだろうか。というのはつまり
誤:「続きが読みたい!」=「この話が今後どう展開していくのか知りたい!」
正:「続きが読みたい!」=「この作品の感動を、もう一度味わいたい!」
ということが多いと、自分は推測している。
読みたかった「続き」がくるととても嬉しいはずなのに、なぜか盛り上がらない。それは、「反芻」を期待していたのに、実際に持ってこられたものが「展開」だったからなのだ。しかも、じゃあ「反芻」させようと思い、まったく同じことを続きでやっては本末転倒、それは続きではなくなってしまうという…。
ファーストインプレッションの感動を「続き」で再現しようとすることは、とても難しい。
だから自分は、続きを読みたい!と言われても、応えられそうにないなあと、申し訳なく思っております。一方で、ウケた作品を応用して別作品とすれば、感動の反芻は易しくなるので(簡単とは言っていない)、どんどん単作を発表していくほうがいいよなあと、最近は思うのでした。
(とはいえ、そんなに苦労せずに続きがポンポンと作れたら、やっぱり自分も自分の作品の続きが読みたい)
ちなみに、根拠は何もないが、アニメの二期とか映画の2作目が何とも言えなくなってしまうのも、同じ理屈だと思う。
あと、そもそも続くことで成立する話はまた別のことであるので、ご承知ください。
(大口敲工)
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