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7.小学生時代の私は何を見ていたかな?

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桜咲く4月を迎え、私はピカピカの一年生になったー😊
私の家だけかもしれないが、、
幼稚園まではたくさん私の写真を撮っていたようだが
小学生から一気にアルバムの写真が少なくなっていた。
だんだんと私の行動範囲がひろがったからだろうか?
1年ずつの記憶は、まさか私にはない。
なので、ざっくり6年間の思い出を記録してみた。

まず、私はどんな子だったかな~。何が好きだったかな~。
私は、春が好きだった。秋生まれだけどね。
もちろん、秋が一番好き。その次に4月が好きだった。
なんでかな?と思うと、
本が好きだった私は、1年ごとに新しい教科書がもらえるのが
本当にうれしくてうれしくてたまらなかったのだ。
小学高学年の頃は教科書をきれいに保ちたくてカバーをつけていたなあ。
そして、教科書のにおいをそっとかいでいたわ(笑)。
新しい学年が始まることがワクワクしていたんだと思う。
あと、春が好きな理由。
今は、そんなことする子供は少ないだろうけれど・・・
田んぼの中に寝っ転がって、流れる雲を見たり、レンゲのにおいや、草のにおいをかいだりしているのが好きだった。
あ、もちろん、田んぼに水が入る前です~😅
私の生まれた町は、今と違って田舎だった、と記憶している。
家の周りは田んぼだけだった。
ずーーっと見晴らしがよくて、今の北名古屋市を知っている人は信じられないかもしれないが、
私の家から、遠くにある名古屋城が見えたのだ。
もちろん花火大会も見えた。
夜は暗くて星がきれいに見えた☆彡

母は専業主婦だった。
当時、大きなスーパーなんてない所。テレビに出てくる最新?のお菓子は家になくて、母が試行錯誤?しながら手作りでおやつを作ってくれていた。
今考えると、すっごい贅沢。
なぜなら、すごーーーくおいしかったから。
母の作るプリンとスポンジケーキは本当に絶品だった✨✨
学校でもおとなしくて、友達はいたけど、遊びに行くより家にいることが好きだった私は、家が居心地いいことが最高にうれしかった。
母は、暑いときは、家に帰るとすぐに着替えを用意して「暑かったでしょ」とさっぱりとした格好に替えてくれた。 寒いときは、朝学校へ行く前は、必ず父と私の靴をストーブの前であったかくして、それをはかせて出かけさせてくれた。
ある時、私が男の子たちにいじめられて泣いて帰ってきたら、飼い犬のチーボーを引き連れて、その子たちのところへ怒鳴り込んでいった、と後々聞いた😅。チーボーは本当はおとなしい犬だったけど、見た目に迫力があり、男の子たちは母に謝ったらしい。そのあと、いじめられたかどうかは全く覚えていない。というか最初に泣いて帰ってきたことも私は覚えてなかった。
そんな熱血母だが、一方父は、私が高学年になるころから体調が悪くなってきたと思う。糖尿病だ。今の時代は、いい薬がたくさんあるだろう。
でも当時は、糖尿病と折り合いつけながら暮らしているひとのほうがすくなかった。父は、よく入院していた。

第7回-5

そんな中でも、お正月に着物を着て名古屋城へ行ったりしたんだね。
お父さんと一緒の写真を見つけて、単純な私はうれしくなった🧡
父はとにかく優しい人だった。 
私は父が人の悪口を言うのを一度も聞いたことがない。本当に・・・。

ちょっと泣けてきちゃうから、今回はここまで!!!
お読みいただき、ありがとうございました😆


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