優秀な聞き手になるには?コミュ障こそ飲み会に行くべき!◆公開収録編(完)【ぷろおご伊予柑の大預言】
対談:ぷろおご伊予柑の大預言をアーカイブしています。
収録は2023年10月です。
本編は前回記事に続いて、大学生との質疑応答(2)をお送りします
◾️前回記事
崩壊寸前のコミュニティに共通する特徴とは?
伊予柑:次は俺が気になったテーマ、コミュニティの管理についてです
ぷろおご:伊予柑さんはプロですからね
伊予柑:僕は20年ぐらいネットコミュニティをつくったり管理していて、仕事もそういう感じなんですけど、ようやく実験が終わってきてわかったんですよ。コミュニティとはつまり、メルマガだわ。という。
今回でいうところのコミュニティとはオンラインサロンとか、そういうチャットで会話する場とします。Slackだろうがツイッターだろうが、いわゆる人々が集まって会話するような場というのはほぼメルマガなんです。ふたりぐらいの人がメルマガを発行していて、それ以外の人は引用RTしてる
ぷろおご:そうだよね、引用RTしやすくなるとコミュニティができる
伊予柑:コミュニティかのように見える
ぷろおご:そうするとコミュニティだって言って、人が入ってくる
伊予柑:そう。で、このときにメルマガを書いてるふたりがいなくなると、引用RTする人しかいなくなるんですね
ぷろおご:「誰を引用RTしたらいいんだ」
伊予柑:そうすると、ただ雑談をし、メシの写真を貼るようになり、コミュニティは滅びます
ぷろおご:コミュニティがメシの写真を貼りはじめたら滅ぶ合図なんだ
コミュニティを盛り上げたいときに、集めるべきものとは
伊予柑:これはひろゆきさんが2ちゃんねるの管理をしていた時代に言ってたことと変わらないんですよ。なぜ2ちゃんねるが匿名なのかというと、身内にメシの写真を貼る会話をさせないためなんですね。要するに、内輪の会話にならないために、匿名にする。
誰が話しているのかわからない。「眼鏡の情報が集まる→メガネ板」とかにして、極力テーマを明確にすることで、初見が分かるような会話を維持し続ける。
AさんとBさんが「昨日あれさ…」って言っても誰も興味がないわけですよ。つまり他人にとって読む価値のあるもの、コンテンツである。どうやってコンテンツを集めるかっていうのがコミュニティである。人間じゃなく、コンテンツを集める。結局そこなんだな、となりました
ぷろおご:管理するには、まんなかで誰かが動き続けなきゃいけないんですかね
伊予柑:読み物が作れないと管理できない
ぷろおご:日本はコミュニティですか?
伊予柑:日本というのは、ザ・ジャパン?
ぷろおご:国
伊予柑:俺が今定義したコミュニティというのは、自由意志で参加するコミュニティのことなんです
ぷろおご:抜けることができる
伊予柑:だからこそ、まんなかにコンテンツがないと人が寄ってこないんですよ。料理がでてこない店になってしまう。対して、国は抜けられないコミュニティなので、べつの話になりますね
ぷろおご:店はコミュニティだ。店は誰がメルマガを発行するんですか?
伊予柑:基本は料理とか、もしくはママが話すのがおもしれえとかですね。結局コンテンツじゃん、というのがひとつの結論です
「天気の話」をつまらないと一蹴してはいけない
ぷろおご:コミュニティ統治について、この結論どうですか?
Aさん:とても参考になります
伊予柑:集客力のある人じゃなくて、おもしろいものを提供できる人をブッキングし続けないとだんだん滅びていく。集客力のある人、たんに友達15人いる人でも、店はいっぱいになるんですけど、それって料理の写真で終わるんですよ。
そうすると、他人がふらっときたときに、「つまんね」って言って帰っちゃう。総人口は増えないですよね。3人しか人はこないけど、いいコンテンツをつくる、初見が見て楽しめるものを提供できる人をアサインしていくと、ふらっときた人がたのしめる場になるんですね。そうすると、総人口が増えていくことになります
ぷろおご:なるほどね、いまおれたちはメルマガをしてますね
伊予柑:はい、これもメルマガです
ぷろおご:どうにか頑張ってメルマガとして成立するように一般的な話をしてる
伊予柑:ちょっとずつマニアックにしてるんですけどね。そういう意味では、この収録の合間に10分ぐらい雑談する時間があって、そこが引用RTタイムなんですよ
ぷろおご:たしかに
伊予柑:「あの話はどうだった?」ってことを切り口にしてもいいし、自分の話をしてもいい。「ぷろおごさんあんなことをおっしゃってましたね、」って、なにを話すか困ったときに天気の話をするみたいに、メルマガというはあるんですよ
ぷろおご:いいですね。テレビとかもそうじゃないですか。お茶の間でテレビをつけているのも、話題がないからですよね。めちゃくちゃおもしろいからとかじゃなくて、なんか文句言いながら見たい、とか、そういうの
伊予柑:「また〇〇、大きなことを言って…」とかテキトーなことを言うためにあるんですよね。話題のきっかけとして機能する
ぷろおご:コミュニティの管理にはテレビが必要なんですね
聞き手に徹すると、自分について知ってもらう機会が失われてしまうのか
伊予柑:これ、ぷろおご寄りの質問なんですけど、奢られてもとくに自分語りをしないぷろおごさん、どうでしょうか?
ぷろおご:いやあ、むずかしいなあ
伊予柑:自分語りをさせることはできるが
ぷろおご:おれはけっこうパワープレイだとおもいます
伊予柑:どういうこと?
ぷろおご:上手とかがなくて、強さしかない
伊予柑:強さはあるんだ
ぷろおご:たとえば明石家さんまさんがいます。明石家さんまさんはなにも直接自分語りするわけじゃないけど、そこに「明石家さんまがいる!」ってなったら、その前にいる人は、明石家さんまベースのしゃべりになるじゃないですか。徹子の部屋にでるんだったら、徹子さんに話すならこれ話しておこう、とかなるわけですよね
伊予柑:なります。空気を読みますからね
ぷろおご:そこで、聞く側が自分語り、自己主張ができてないかというと、まったくそんなことはないとおもう。この質問は、「コミュニケーションは聞くことが大事っていうけど、聞いてばっかりだと自己主張的なものはできないじゃないですか」って話だとおもうんだけど、それでいうと、たぶん強弱なんですよね。
相手がそもそも自分とのコミュニケーションを求めているか、とかはある。相手が壁に向かっているように自分と喋っていたら、上手も下手もあんまりないんですよ。相手は誰でもいいということになるから。逆に、相手が自分の話を求めていたら、自分のことを話すことになる。
コミュニケーションがはじまってる状態で、すでにマッチングは済んでいて、そのマッチングに齟齬があると、どう上手だろうが強かろうがあんまり意味がないですよね。
「あなたをこういうふうに利用しようと思って、あなたとマッチングしたのに、なんかちがう商品がでてきた。」ってなったらイヤじゃないですか
自分語りが求められるシチュエーションとは
伊予柑:そう考えると、自分語りをするようなマッチングだったり、シーンってあるんですかね?あたりまえですけど、道ですれ違う人に、自分語りはしないじゃないですか
ぷろおご:通りすがりの人でなくても、ほとんどの人は相手の自分語りを求めていないですよ
伊予柑:面接のときぐらいじゃない?
ぷろおご:やっぱり大学生だからだとおもうんですよ。就活をはじめたら、急に「あなたの話」を求められる。あなたらしさとか、アイデンティティーとか、自我とか。そういう局面においては強弱で戦うしかない。
あるいはマッチングの時点で、操作を加えるしかない。たとえば、面接だったら、どこの会社にエントリーするのかとか、そういうところに齟齬があると、どんなに上手いコミュニケーションをしても、あんまり、大差ないかな、とおれはおもってしまいますね
伊予柑:あなたは自分語りマッチングマシーンなので、自分語りしたいマンが奢りにくるわけじゃないですか。その人たちは上手な自分語り、もしくは強い自分語りをされるんですか?
ぷろおご:あんまり自分語りしたいマンになってないかもしれない。おれがそんなに規定された存在じゃないというか、なにをする人なのかわからない人なので
伊予柑:奢られる人ですもんね
ぷろおご:そう、なんでもないんですよ。その場のノリできまる、というか。きまるってこともないな。外から見たら、おれはなにもしゃべらずにずっと聞いてるだけに見えるシーンもあるだろうし、逆におれがしゃべってるときもある。どっちもあんまり変わらないですよ。
変わらないっていうと掴みづらいかもしれないけど、たとえば聞くのって受動的だってみんな言うじゃないですか。受動的でつまらない、とか。でもおれは、聞いてるときほど能動的なときがないとおもいますね。というのも、しゃべらせてるわけなので
抜群の相性も、つくりあげることができるか
ぷろおご:しゃべらせるときって、いちばんこちらが相手に対して干渉する瞬間だとおもうんですよ。「どうしゃべらせるか」というのは、客観的にどう見えるのか、というのとはちがっていて、自分語りもその領域だとおもっていて、要は語らせてる人がいるんです。
よく「この人の前だと素直になれる」とか「この人の前の私が好きなの」とか、あるじゃないですか。そこには明示的、ないしは暗示的に語らされてる人と語らせる人がいるんです。
なので、「この人の前だと〜」というのは、そういうふるまいをさせられてる、それが心地いい、操作されたい、という、そういうものの言い換えですよね。ほんとうにマッチングが上手くいくと急に私は私らしくなった、みたいな気がしてくるし、一概には言えないですけど、
ぷろおご:話を戻そうとすると、むずかしいな・・上手な自分語り・・・聞きたいことがないのが問題だとおもいます。元の質問の文脈に戻ると、「話を聞いてると自分がいなくてもいいように感じる。」というのは、自分がそこに干渉できてる気がしないってことじゃないですか。聞きたいことがないからなんですよ
伊予柑:聞きたいこと、ないよ
ぷろおご:でも、それがあるときに干渉が起きているわけで、干渉が起きなければ起きないでいいんですよ。ただ、なんで起きないのかっていうと、マッチングに齟齬があるからということですよね。相手に関心があったら、聞きたくもなるじゃないですか。
たとえば、「あなたはそれをどうおもったの?」とか「昨日カマキリ捕まえた?どうしてそんなことを?」とか
伊予柑:いいですね、それはかなり「どうして?」ですね
ぷろおご:あなたへの「わたしの興味」じゃん。普遍的にいえば、カマキリを捕まえる理由なんてないわけで、あるとしてもまだボウヤだからとか、そういうのしかないわけですよね。
それをどうして?って聞きたいだとか、聞きたいと思える相手と一緒にいたら、確実に自分は干渉してしまうし、質問をするってことが、ぜったいに自己表現になるわけですよね。なにかを聞きたいとおもう相手と一緒に過ごす、っていうのが上手な自分語りをさせる気がするんですよ
伊予柑:ころがされ欲を自覚するか、ころがしにいくか、
ぷろおご:これはけっこうむずかしい。めちゃめちゃ複合的な話なので、どこを切り口にするかなんですけど、おれはけっこうマッチングかなあとおもいますね
寡黙なひとは友達が少ないのか
伊予柑:ほかにもコミュニティに入るには明るさが必要ですか?とか、飲み会でどうしたらいい?とか、そういう質問もきてます
ぷろおご:寡黙っていうのは安全が保証された場所でしかできないふるまいなので、それはそうですね。コミュニティに入るには明るさが必要で、明るさがある程度承認されて、その人のキャラクターに明るさ以外の価値を見出してもらえれば、寡黙になっても怒られない
伊予柑:いじめられているおこめたべおは寡黙にはなれない
ぷろおご:そう、寡黙にはなれない。寡黙キャラでいられるのは、ほかになにかある人なんですよ。そのコミュニティにおける価値が安定してる人は寡黙でいられます
伊予柑:不安になっちゃいますからね、怒ってるかもみたいな気持ちになっちゃいますから
伊予柑:それだと飲み会と会話のリズム、早稲田のコール文化とかは完全にただのミュージカルなんですね。だって音楽があって、役割がある。とどのつまり、あれはリズム音痴のためにあるんですよね。譜面ですよ。
一方、ぷろおごには譜面は要らないわけですよね。だって天然で音楽をつくれるんだから。音楽を作れない人はちゃんと音楽を学ぶことにより、早稲田の飲み会コールができ、飲み会を盛り上げることができる。台本大事だねっていう話だね
ぷろおご:そうだね。カラオケの採点機能がないとほとんどの人はカラオケをたのしむことができないから、そういうことだよね
伊予柑:大学生の飲み会のコールは、明るさを練習している。役割分担をしてチームプレイとしてのコール
コミュニケーション能力は遺伝できまる?
ぷろおご:初心者モードの飲み会、「間がだいじ」というよりリズムだね
伊予柑:初心者は素直に台本を用意し、練習しましょう。飲み会は実は初心者向けプレイで、会話のほうが上級者向けですよね。譜面がないプレイだから
ぷろおご:リズムオンリーだと、ジャズセッションみたいなかんじだから、けっこうむずかしいかな
伊予柑:俺はアスペだからまったく自信がない。あなたがよく言っている、沈黙を恐れない、はすごく重要だなとおもいます
ぷろおご:会話のリズムも結局、マッチングなんですよね。「なんであなたは沈黙が耐えられない人と一緒にいるんですか?」っていう話になってくる。沈黙がこわい相手と一緒にいると、疲れるし、たいへんじゃないですか。そこは関係性を改善するための会話以外のものが必要な気がする。
たとえばなにかを送りあうとか、毎週顔を合わせるとか。そうすると、ようやくこの人は危険じゃないんだ、とか、この人のしゃべり方はどういう話題のときにそうなっている、とかがわかってくる。沈黙がなにを意味するかとか、パターンがわかってくると安全になってくるんですよね。安全の確認ができる
ぷろおご:リズムで上手くいくことってあんまりないのかもしれない。いや、テキトーなことを言ったかもしれない。リズムで上手くいくというよりは、相手のリズムを捉えられるか、とかはあるかな。呼吸っていう言い方がけっこう近い。
相手がどういうリズムで話をしてるかとか、それに対してどう合わせるかとかは、高等技術だけど、あるよなあ。そういう類のものは飲み会の明るさとはちがうなあとおもいますね。
リズムは、もっとサシというか、一対一の部分ででてくる高度な概念ですね。そして残酷なことをいうと、これは遺伝性だとおもう。音感ですよね、だから音感がなかったら一生わからない気がする。音程じゃなくて音感なんですよ。
音程は訓練したらわかるけど、「リズムをとらえろ」って、音感がない人が言われてもわからないじゃないですか。トレーニングできるのかは知らない
伊予柑:先生が必要でしょうね。ピアノの練習って基本ひとりではやらないじゃないですか。ピアノの先生が必要なんですよ。独学でできるようになりそうな感じもするんですけど、実際には、続かない。先生がいればできる気がするなあ
コミュニケーションは練習で上達するか
ぷろおご:先生がいるとできるっていうのはたぶん、コード進行がかぎられているからなんですよ。そもそも人間が心地よいと感じるコード進行のパターンは少ない。だから、それさえ履修しておけば、その会話における心地よい適切なコードを選ぶことができる。
そういう理論的な部分がわかってくると、わからないよりはリズムをつかんでるぽく見える。けど、予習してるだけ。なので、異文化コミュニケーションがいいんでしょうね
ぷろおご:いろんな属性の人たちと関わってると、いろんなリズムが存在するってことがわかる。なんかいつもとリズムがちがうなってことはあるじゃないですか。それが全部「不快だな、」ってなってしまうと生きるのがたいへんなので、慣れるようにする。
その人と上手に会話できる必要はないんですけど、こういうリズム感で生きてる人がいるんだなあってことをフィールドワークして理解する。そうすると、「ああ、このパターンのリズムかあ、」というふうになって安心するから、そのぶん呼吸を合わせなくてもよくなるというか、
呼吸を合わせなくても、脅威を感じなくなる。脅威であることが問題なわけじゃないですか。「なんかこの人と呼吸・リズムがあわない、こわい」がなくなる
伊予柑:だとすると僕は、ぷろおごを観察する、はおもしろい遊びとしてアリだと思ってます。なぜならぷろおごは、相当意図的に会話のリズムをメディアによって使い分けるので。
ちょっとみなさんには、TikTokの会話を思い浮かべてみてほしいんですけど、あのときと、noteに貼っている朗読っぽいやつは全然違いますし、この収録もそれらと相当違いますよね
伊予柑:なので、このときのリズムはこれで、パターンはこれか、どうしてこういうふうに持ってきてるんだろう、みたいな関心を持って、聞けるようになると、だんだんわかるようになる。
ものって、見て認識することが先なので、違いがわかるようになると使えるようになる。ぷろおごは相当わかりやすく適応しているので、リズムをたのしむことができる。こういうふうに人は使い分けるんだ、って
ぷろおご:意図的というか、からだがそうなってるんですよね。たぶんおれは動物的なレベルで聴覚過敏だから、合わない音をかけるのが自分でイヤなんですよ。それをどうやってやってるかっていうのは、生得的だからいちばんわからないところではあるんですけど、たしかに、意図的なのかもしれない
伊予柑:ここまでちがう人はけっこうめずらしいと思う。今はここの広さ、聴衆に向けたしゃべり方を自然にチューニングしている。
学校の先生だって、職員室で話すのとちがうじゃん。そういうもんだよね
コミュニケーションに落胆しがちな人が軽視しているものとは
ぷろおご:3人以上の会話がましになったのはほんとうに最近で、2人だけの会話と3人以上の会話ってルールがちがうんですよね。べつのゲームだとおもったほうがいい。似てるけどべつのゲームソフトです。
スマッシュブラザーズだって、3人でやるのとサシでやるのはちがうじゃないですか。あれぐらいちがうんですけど、これもけっこう音感的なものだとおもっていて、サシに適応しすぎると、3はむずかしいですね。3が苦手な人ってサシが異常にできるんですよ。だから、サシをもうちょっと雑にやる、とかがいいとおもう
伊予柑:簡単にいえば、1対1の会話は自我が強い人向けで、3人以上はちいかわ向けです。全然求めるものが違う。3人以上の会話は引用RTのほうがよい。引用RT0だと会話が進まない
ぷろおご:サシをもっとテキトーにやるっていうのは、練習としていいかもな、とおもうね
伊予柑:その人が求めるものがどっちかですね。ちいかわしたいならべつにいいけど、この質問がでてる時点で、本音コミュニケーション、サシのコミュニケーション、強度の高いものが得意な方なのかな、とは思います
ぷろおご:2人プレイに馴染みすぎると、3人ってどうすればいいんだろう、ってなるんですよ。これはおれも最近ようやくできるようになってきた。3人以上いたら、とにかく雑になる。
伊予柑:意味を求めない
ぷろおご:なんだろう。からだを相手に向けないとかからはじめたほうがいいかもしれない
伊予柑:3人以上の会話は、1対1がいくつかで構成されてるわけではない、と
ぷろおご:そうなんですよね。意識づけからかもしれない。とにかく3人以上いたら雑な態度になる
ぷろおご:3人以上、できます?
伊予柑:3人以上はよくわからなくてもニコニコしながら、うんうん、ってジェスチャーをしておけばだいたい
ぷろおご:そうかも。もはやコミュニケーションじゃないって考えればいいのかな。存在の見せ合い、今日は存在を見せ合いましょう
なぜ、アンチを大切にしたほうがいいのか
ぷろおご:最後、良質なアンチの作り方について、話をする?
伊予柑:この質問をくれた方から、最近アンチができたっていう話を聞いて、ようやくキャラがたったね、っていう話をしたんですけど、アンチというのは、つまり熱心なファンと意味はおなじなんですよ。
ファンは、ただの通りすがりかファンなのか、見分けがつかないんです。ぷろおごに対して、いいねって言うことはファンも通りすがりもするんですよね。だけど、アンチだけは、ぷろおごのことをちゃんと見て叩いてくるんです。つまりこの人はオレのことをちゃんと見ているんだってことがわかる
ぷろおご:俺のもっとも良質なアンチは伊予柑ですから。もっとも高度化されたものは区分ができない。「ファンですよ」って言って近づいてくるので、むずかしいところですね。なにを良質とするか
伊予柑:まあ、「よく見てくれる人」という意味では、ファンはわからないですよ。「アップロードありがとうございました」というコメントが通りすがりかどうかはわからない。だってファンの人は熱心に書いたりしないじゃん。
ぷろおご:おれには、質の悪いアンチがあんまりいないけど、いないことにしてるだけかもしれないな。ひとつ、ひとりに見える。質が悪いから
ぷろおご:そうだね。ひとつとして見れるようになると、ほかの意見がよく見えるようになったりする。そうすると、良質なアンチが見つけやすくなる。自分に矢印が向いている必要はあんまりないとおもう。
要するに、なんでアンチがいないかっていうとそれはスタンスを持っていないからなんですよ。スタンスを持っていたら敵対する勢力みたいな概念が存在するわけですよね。自由だ、って言ってたら、そんなの自由とかじゃないでしょ、って言う人はいる。
誰が自分に対してアンチなのか、とかじゃなくて、たんに反対の思想の人々がいる。そういう状態になって、そのランキング1位の人たちが存在するってかんじで、それが自分に矢印を向いているかどうかはあんまり関係なくなってくる。
たんに、良質じゃないアンチばっかりだったら、ただ嫌われてるだけだよね。人間的に嫌われているのと良質なアンチがいるというのはちがう。嫌いかどうかとか、そういうのじゃなくて、お前のこういう考え方とか、これは理論的にいってこういう誤謬があるよ、とか、そういうのが良質なアンチだよね
伊予柑:ライバルってことですね
ぷろおご:そう。それはスタンスを持っていたら自然に発生するし、長くそこに立ち続けたら、直接敵対することもあったりする
マイノリティの「生きづらさ」、その正体とは
伊予柑:スタンスをとるというのは、引用RTせずに、たとえば、「原発からあれを流すのはいい/わるい、」などのどっちかに決めるということです
ぷろおご:どっちかのサイドに立ば、必ず対岸に誰かがいるという状態になる。それがときにこちらをん見つければ、引用RTして戦いになる、みたいな
ぷろおご:そうですね、そういうニュアンスでとられるんだったら、スタンスをとることによって、潜在アンチが勝手に規定されていくというべきかな。こういう人たちはアンチになりうる人だっていうのは、スタンスがあったらおのずと決定していくから
伊予柑:そのときのスタンスのとり方は、社会へのスタンスというよりも、自分の音楽性に対する好みを言ったほうがいいんだろうなとは思います。つまり、放射能水放水をいい/わるいというのはどっちをとってもルーズな選択肢で、基本的にロクでもないの。
「オレはワインビネガーが大好き」っていうスタンスはアンチのうまれようがない。つまりリュウジさんの味の素大好き、とかもそうですよね。あれはよいスタンスの取り方
ぷろおご:スタンスがなければアンチはいないですからね
伊予柑:基本的に、いいことがないほうが多いから、みんなスタンスをとることをすごく恐れる。やばいスタンス、フェミニストとか、そういうものがタイムラインに流れてくるので、とってもいいスタンスのところをひよるんですよ
ぷろおご:ああ、スタンスを持つこと全般に過学習が発生するわけだ。怖いものだ、いいことがないものだ
伊予柑:そうすると、私が好きを表明しても安全なアイドルと、こいつは叩いてもよいというパブリックエネミーがおなじ構造になるんですよ
ぷろおご:そうだね
伊予柑:その中間にあるものは好きも嫌いも表明しにくい
ぷろおご:どうですか、質問者の方
伊予柑:これは昔からなんですよ。たとえばクラスのなかで流行りがあって、「ジャニーズが好きだ」という一大女子勢力があった場合に、「私はこのアイドル、マイナーな俳優がすき」って言えないんですよ。
「好き」について語り合いたいというモチベーションも、なにかを好きになることの重要なパーツで、ひとりで推すっていうのはほぼ無理なんです。
これをおれの分野でいうと、ソーシャルゲームを流行らせるにはクラスのなかでNo. 1ゲームになるしかない、というふうになるのよ。クラスであるゲームが流行っていたら、ほかのゲームは流行らせられないんですよ。やっぱり話題を共有しながらみんなで遊ぶものだから。
以前は3派閥ぐらいあって、ほかにちっちゃい派閥もあったんだけど、今は一派閥にかたまりがち。クラスで原神が流行っているから原神、原神以外は許されなくなる、みたいな感じになってるんですよね。なんか知らんけど、まあマーケットが成熟してくるとそうなるかな
ぷろおご:なるほどね、マーケットの問題なんだ
伊予柑:コミュニティとかマーケットが成熟してくると、こっちのほうがラクだよね。「多数派にいこう!」というふうになって、どんどん収斂されていくんですよ
ぷろおご:いちばん不参加が許されないソシャゲとして、資本主義がありますよね
伊予柑:わかりにくい例えだな!
ぷろおご:70億人が参加しているので、なかなかそこから離脱して生きていくのはむずかしいですよね
伊予柑:一個勝ち馬がくると、みんなシンプル勝ち馬に乗るので、大きな流れができて一色になりますよ
ぷろおご:信仰っていうのはそういうものから逸脱したものですよね
(公開収録シリーズ 終了)
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