人はされたことをせずにいられない。大切なものを壊してしまう前に知っておきたいこと◆毒親【ぷろおご伊予柑の大預言】
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ゲストにトリさんをお招きしております。
こちらは動画;ぷろおご伊予柑の大預言を加筆編集したものです。
毒親
「好きでうまれてきたわけじゃない」
喉まででかかった言葉をのみ込んだ少年・少女の頭を老人が撫でている。
月日を経れば、少年少女もまた親になる。
子どものころに連れ立って家出をしたあいつも、親になった。
毒親の子ども、だ〜れだ
毒親問題を解決したければ、人権を放棄しよう
伊予柑:はい、今回は毒親がテーマです
ぷろおご:前回の加害性の発散の話と関連して、毒親について。物を壊すとか、あるいは法知識のある人が法でハラスメントする機会を得るとか、自分のうちにある力が発散されると一時的に加害性がおさまる。そういうものに近いところがあるとおもうんです。物を壊したりしても、怒りは一時的にしか発散されないみたいな話でもある。
加害性ってエネルギーの保存みたいな側面があるよね。どっかからなにかを受け取っていて、受け取ったからださなきゃ、ってなるというか。食べたからださなきゃとか、飲んだからださなきゃとかもそう。合計的に考えたら受け取ったぶんだけだすというか、そこが均等で、
なんだろうな。毒親問題、子どもが親を毒だとおもって反出生主義に傾倒したり、自分なんか子どもを産んだら・・って発想になったり、いろんな連鎖があるとおもうんだけど、あれってたぶん昔からあったとおもうんですよね。あったんだけど、そういうふうに連鎖が起きる前に子どもがいたんですよね。親に結婚させられるまでが子どもというか。
親に子ども産めって言われて嫌だな〜とかおもいながら、しかたなく言われるがままに子どもを産んだ、までが毒親のセットだったはずなんです。今では切り離されてるじゃん。人権があって、自分の人生を自由に選択することが認められてるから。それがあるから毒親は毒親とされるんですよね。子どもに自由や人権がなかったら毒親にはなりえない。
で、なんの話かっていうと、自分が加害されてきましたっていうとき、発散の方法は加害するってことなんだけど、加害する側にまわると、加害された側のことがわかるみたいな想像があるんです。
自分の親は毒親というふうに言っているあいだは、ずっと子どもなのよ。何歳になっても、親と子ども、母親と私というように、囚われている
伊予柑:つまり加害する側とされる側っていうかたちで関係性が保存されている
ぷろおご:そう。実家に帰ったらずっと娘でしょ。いままではたぶん、結婚・出産までが毒親のセットだったから、毒親の子どもでありなが、自分にもまた子どもがいるということになるのよね。
それで、子どもがいると、自分はもう親なのよ。そうすると、まるでマトリョーシカみたいに、自分もそうだったんだ、親とおなじなんだ、って、そんなことに気づく。そうして、はじめて自分の親とまあ、酒でも飲む?みたいになるわけ
伊予柑:同じ立場になってね
ぷろおご:加害しあうっていうのはたぶんこういうことで、たぶんね、加害しあわなきゃだめなんだよ。自分がされてきたことだったり、それこそ法の知識があるやつだって、ある意味でいえば、法知識ハラスメントを受けてきた。そういう教育を受けてきたから、ハラスメントできるだけの力があるわけじゃん。
「うまなければよかった」、それは誰に向かって放たれた言葉か
ぷろおご:そういうものを受けてきたからこそ、それをやりたいわけで、学歴コンプレックスとかもそう。自分が散々受験勉強してきたから自慢したい。されてきたことをすることでしか発散できないものがあるとおもう
伊予柑:それってほぼ贈与論ですね。ハウをまわさないと呪われる
ぷろおご:そうなんですよ
伊予柑:そして、ハウは本人に返さなくてもよくて、他人にまわしてもよい。そうすると、毒親からハラスメントを受けた人は加害してはいけないという呪いにかかっているから、受けた加害を渡せないということになるんですよ
ぷろおご:晩婚化にはそういう背景もあるだろうね。
それから、SNSでは概念とか情報が大量に流通して、みんながそれをコピーしてる。毒親っていう概念に、子どもである自分がひとりでたどり着くのはまれで、どうしようもない不快を毒親という容れ物に入れようとするけどこぼれてしまう。もはや行き場のなくなった加害のるつぼと化してるよね。
そうして親から受けたもの、受けた害を誰にも渡せないまま、抱え込んでしまってそこで止まっちゃうから、キツいよね。より毒親になる
伊予柑:トリさんの場合、親になにかを受けたという自覚があるのであれば、誰かを殴ったほうがいいですよね。適切、かつ安全に。リングの上であれば殴っても傷害罪にはならないので
ぷろおご:出産は加害ですね
伊予柑:たしかに。産んだから
人との関わりが希薄になると、加害性ばかりが悪目立ちする
ぷろおご:産むって加害以外のなにものでもない。だけど、そもそも世界って加害じゃん。オレたちは加害の子なのよ。人と関わりあうってことは、生きるってことは、少なからずなにかを受け取って、あるいはなにかを与えることになるとおもうんだよね。だけど、関係が希薄になると害だけが目立って、加害だから止すべきみたいになってるよね。
加害はある程度することになるし、被った害はある程度、流さないと生きていけないんだけど、なんかみんなつけあがってキリストみたいになろうとしてるんだよ。私が受け取ります、ってね。むりむり、お前はもっとひどくさせるだけだから。こじらせて世界に害を振りまくだけだからやめとけっておもうんだけど、そういう流れがある気がしていて、
伊予柑:いざ加害しろって言われてもむずくない?
ぷろおご:気づかないうちにさせられてる。受け取り手が加害されたと感じたら、それは加害になるよね。
毒親でいうと、私は加害だったかもしれない、って言ってるあいだに娘が大人になって、なんか産んでよかったかもしれないっておもう。それまでがほんとうはセットのはずなんだけど、そこが円滑にいってない気がしていて
伊予柑:贈与が腐ってしまうんだなあ
ぷろおご:なんかね、おもしろい。たとえば、おれは存在が不快だとかって言われるじゃないですか。それは存在が加害的であるっていうのとおなじだとおもっていて、
SNSをやってばら撒いてる、加害しているわけですよね。そして、それを受け取る人々がいて、その主観によって受け取ったものがいい影響をもたらしたり、悪い影響を及ぼす。そのバランスが謎に、釣り合うんだよね。だから加害したからといって世界がすごく大きく変わるかっていうと、そんなことはなくて、よくなったやつもいれば悪くなったやつもいる
伊予柑:あなたがもたらした影響のうち、よい影響と悪い影響が釣り合うんだ
ぷろおご:彼らの主観だけどね。加害って動くだけなんだよ。それによって世界が悪くなるとかよくなるとか、そういうではなくて一旦動くってかんじなの。動かないと腐っちゃうから
伊予柑:それはほんとうにそう
自らの加害欲求を発散させるには、傷つけられた自分と向き合わなければならない
ぷろおご:全部を腐らせるよりは動かしていたほうがよくて
トリさん:それって人と関わっといたほうがいいってことですよね
ぷろおご:そうね、なんていうのかな。加害する、加害欲にも、それを満たすための要項、なにがどうなったら発散できたかっていうのがあって、それは自分はどういう加害をされてきたかみたいなところに依存する気がしてる
伊予柑:そうするとやっぱり完全な加害は演劇になるんですよ。ちゃんと要項を満たすために演出することができ、安全である。時間と場所とルールを決めてここは加害空間ですよ。と設定することで安全を担保できる。やっぱり実社会で扱うには加害は危険なので、
ぷろおご:これまでは家庭とかでさ、みんなミクロにやってきたわけじゃない?親子喧嘩したりとかね。それがいまでは、ごく近接な関係とされている家族の関係において、感情的になることは許されないっていう風潮があったりして、怒らないように努めることを推奨されてるから加害欲は抑圧されてる
トリさん:家庭は演劇に入りますか?
伊予柑:家庭は演劇に入らないです。なぜなら場所が限られていない、時間が限られていない、ルールが明確ではないからです。あくまで伊予柑定義では、ですけど
儀式的な処理は、外界への理解を円滑にすすめさせる
トリさん:僕はそこがあんまりよくわかってないんですよね
伊予柑:演技はみんなするんですよ。ただ、安全に加害欲を発散させるためにはそれが暴力であってはいけないんです。演劇というのはあくまでエンタテイメントなので
トリさん:その必要があるんですね
伊予柑:家庭でも演技はします。演劇と加害を関連づけるとするなら、殴りたい欲をどう解消するか、というのが重要になってくる
トリさん:格闘技じゃ加害欲は発散されない気がする
ぷろおご:発散されなさそうでしょ
伊予柑:たぶん自分が受け取った加害とおなじタイプじゃないといけないんですよ
ぷろおご:それをどうやってうまくやるか
トリさん:演劇だ。舞台芸術の演劇として・・脚本を書くか
ぷろおご:儀式的にやらないといけないんだよね。そこなんだよな。それがやっぱり今は円滑にいっていない
伊予柑:親に復讐する必要はないんですよ。解消さえできればいいので。それで、解消できたらむしろ親と仲良くなれるというか、
トリさん:そうですね。だから僕は仲良くなれてないですね
伊予柑:まだね
ぷろおご:それこそその話でいったらあれだ。前におれが書いた、死ぬとか言ったやつのnote。あれとかはまさに加害の話で、「オレ、死にます」っていうのは、法律上は加害にならないんだけど、意味としては、「ころします」だよね。お前の知り合いをころしますと一緒じゃん。
それは加害だし、相互理解があればなおさら。おれがどういうやつかわかったうえで、加害するんですね?っていうところで合意がとれたわけ。そこからはもう決闘なのよ。
そういう合意なわけじゃん。だから死んでなくてもツイッターでころすよ。あたかもそいつが死んだかのようにふるまう。それはおれのなかで重要な儀式なの。
傷つくということは、相手の加害欲求を受け止められているということ?
伊予柑:相手の加害をちゃんとキャッチャーミットで受け止めた
ぷろおご:そうですね。相手の力が強ければ、それに対応したキャッチャーミットを持たなきゃいけない
ぷろおご:加害をどう受け止めるかっていうのは、自分がどのような儀式を執り行うかっていうのとおなじだとおもおもっていて、その儀式はもちろん自分を守るためでもあるんだけど、加害性のあり方のひとつというか。逆に、形式を持たない加害ってむずかしいよね。ただたんに加害するのってむずかしい
伊予柑:加害って受け止める人がいるんですよ
ぷろおご:そうそう
伊予柑:そうじゃないと害にならない
ぷろおご:炎上とか、加害を全部受け止めてるからすごくいい活動。こういう親むかつく!とかうちの親に近い。みたいな、あれはまさにそういうコンテンツですよね。ネットの毒親っぽいツイートが燃えるとか、演劇ですよ。『加害に苦しむ子ども』っていう演劇は、観客にとっては自分の苦しみの再演にもなりうる。
あれをやってるうちになにか、どこかでってなる人もなかにはいるだろう、ただそんなにリアリティがないから抜けだせないままかもしれないけどね。むずかしい。なんでもそうだよね、加害性っていうのはされたことをすることで発散される
同意のない加害行為は加害者が抑圧された被害者であったことを物語る。そのとき、同情とは?
伊予柑:加害性がたまりにたまるとおちんちんタイムになっちゃうんですよね。そうすると理性で自分をコントロールできなくなって、なんか知らんがぷろおごに対して、オレは死ぬって言うことになる。完全にレイプですよね。それで加害欲が満たされたら賢者タイムになり、理性を取り戻すっていう、
ぷろおご:おもしろいね
伊予柑:ぷろおごはムラムラされてるんです
トリさん:めちゃくちゃされてますね
伊予柑:いいFANZAがあるといいんですけどね
ぷろおご:そう、いいFANZAが必要なんですよね。ツイッターは実質毒親FANZAですね。むずかしいな、発散か
伊予柑:なにをされたかによって、どんなものに欲情するのかはかわるから、それぞれのエロさがあるわけで、統一感がないんですよね
ぷろおご:おなじような意味で言ってるのは、だいたいのモテない男は女の人のことを憎んでいるって話。それも炎上したんだけど。
モテない男はぼやっと女を憎んでいる。一緒になりたいのになれないし、あいつは自分のことを選ばない・・みたいな。それはたしかに恨みに近い感情を抱くわけで、それが性欲みたいなものと混ざり合ってすごい加害欲になる。
そういうやつほど、ちょっとモテはじめるとすごいんですよね。そういうものってほんとうにあって、どうしようもないですよね。発散しようがないというか、時空に置き去りにされている、そこをどうにか妥協できるようにならないとむずかしいというか
ありとあらゆる制服系コンテンツはモテなかった男のための終わらない放課後だった
トリさん:俺には「あのころのあいつら」みたいな存在がたくさんいるんです
伊予柑:それはあのころに戻らないと殴れないよね
トリさん:そうなんですよ。俺の人生には中学2年になってから3年に一度ぐらいそういう、あのころのあいつみたいなのがでてくるんです
ぷろおご:憎しみと性欲ってけっこうリンクしているとおもっていて、モテなかったやつって全員制服好きなのよね。制服コスが大好きなのよ。
なんでかっていったら、あのころ・・みたいなのがあってそれがなくならないから大人になっても制服が好きなの。そういうのってけっこうある
伊予柑:呪われてるんですよね
ぷろおご:それは呪いのかたちをしていなくて、オレはお前好きだし、みたいなかたちなんだよ。時空ごと置いてかれちゃってるわけだよね
伊予柑:そう、自分というからだが過去に置いてかれてしまって、どんどんと自分が細ってしまう人っていますよね。中学に置き去りにされたままのからだがあって、ほとんど消えかかっている。みたいな
他人の欲望に鈍感な人だけが無防備にふるまうことを許される
ぷろおご:うまく加害をするには、まずどういう加害をされてきたかを認識しないとだめで、それはなんで加害をしたいのかっていうところにあるね。加害欲は加害されたっておもうところが起点になっている
伊予柑:そこに置き去りにされてるわけですよね。制服の女の子に加害されていたのかもしれない
ぷろおご:制服の女の子が肌をチラチラ見せてさ、やらせてあーげないって言ったら加害じゃん
伊予柑:そいつにとってはね、
ぷろおご:そう。たしかにかわいそうだなとおもうよ
伊予柑:女の子からすると知らんがな、だけどね
ぷろおご:知らんがななんだけど、たしかにそうじゃん。だからムスリムは加害性を封印してるわけで
トリさん:それでなの?
ぷろおご:そうよ、あきらかだね。だって男からしたら女の人が歩いてるだけでも惹かれるんだから。そんな危険なものをさ、むきだしにしてたらあぶないじゃん
伊予柑:現金を引き出したら財布に入れますよね
ぷろおご:罪には問われないけど、だめなんだよ。「現金がとられたんです」ってむきだしのまま持ってたらそれはお前・・ってなるじゃん。いくら法律で守られてるからってそれはむりだよ。って
10万円を無防備に見せびらかして、とられてもしょうがない。むりでしょ
ぷろおご:そんなんトラウマやん。そういうことなんだよな。加害が必ずしも悪意に満ちてるとはかぎらないし、自分が加害されたと認識したエピソードを再現して逆回転させないとどうしようもないところがある。テープをちゃんと戻すっていうのは必要で
やめられない習慣には儀式が隠されていることがある
伊予柑:自分の加害された経験と向き合うのはしんどいですけどね
ぷろおご:おれは好きとかに隠れてるとおもいますよ。すごい好きとか、
伊予柑:制服のたとえですよね
ぷろおご:そう、すごい好きなものとかは異常なの。フォロワーもらった家に昔餃子女が住んでたことがあって、そいつは毎日餃子を作って焼いて食べるのよ。で、検査行ったら小麦アレルギーだったことが判明して
伊予柑:小麦に加害されてる
ぷろおご:加害されて、ウ、ウマイ!ってなってる。そう、だから好きと憎しみとかってあんまり変わらないんだよね
伊予柑:刺激が強いってことなんですよね
ぷろおご:そう、それをいいとおもうときもあれば、わるいとおもうときもある。みんな、嫌いなもの、憎むべきものをつねに探してるよね。それが見つからない人、ぼんやりしている人はなにか異様に好きなもの、なんでかわからないけど、あれがすきみたいなものを掘っていくと、そこに加害された経験があったことに気づいたりする
トリさん:いつまで経っても食べられなかったあの食べ物とか
ぷろおご:そうそう。中学に置いてかれたからだですね。おれは、ずっと給食にでていたクレープを食べたい。モーモークレープってわかる?なんかクレープの袋に牛の刻印が入ってるみたいなやつ、読者のなかにはわかる人もいるとおもうんだけど、それをずっと食べたくて、それに似たものを食べてるね
伊予柑:結局、出会えたんですか?
ぷろおご:全敗してる。でもあきらめはついたよ。もうなくなったんだ、って
ぷろおご:前に女医から依頼があって、メシ食ったときに、どうしても一緒にきてほしい場所があるって言われて、すごい厳しい、有名な塾があるんですけど、そこの校舎へ一緒に行ってほしいっていう話になったんですよ。
女医はそこでキツい学生時代を過ごしていて、毎日ゲロを吐いていたんだって。しかも、いまだに当時を思い出してゲロを吐くこともあるらしいの。
それで、ひとりで行くのはあまりにもしんどすぎてゲロを吐くから、って言って一緒に見に行ったんだけど、校舎が変わってたのか、そもそも校舎がなくなっていたのか、「私が行ってた校舎なかったです〜」って言って異様にさっぱりしてた。ないことが確認されると、意外とみんなそっか〜ってなるみたいだね
トリさん:やりきるってだいじですよね
ぷろおご:実際にそれがうまく昇華されたかは置いておいて、「もうないんだ〜」ってなったら、とりあえずあれはないんだってなる
伊予柑:そんなかんじで終わりますか。毒親、受け取った加害を返す
ぷろおご:誰かに、ね。安全にやるのはむずかしいよね。急にやられたらみんな腹たつから
伊予柑:道路で人を殴ったら傷害罪です。リングにしないと
ぷろおご:うまくやらないとね
伊予柑:なやましい・・
(毒親 完)
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