十九のとき、三万円を騙し取られた話


 いや、十八だったかもしれないが・・

 年齢はともかく、今日はやけにそのことを思い出すのでいっそ文章にして浄化してしまおうかと、そういう算段である。


 それはわたしが、高校卒業後、さてはて大金を払って入学した某芸術大学を半年で中退し、その後1年半フリーターとしてアルバイトに明け暮れていた当時のことである。


 当時わたしは朝九時頃から十五時まで天ぷら屋で働き、十四時から二十二時すぎまで蕎麦屋で働くという、ハード和食アルバイターな十代末期を過ごしていた。


 そのうちの昼部門、天ぷら屋にわたしのあとに入ってきた同い年の同じくフリーターの女の子、仮にA子とすると、まあそんな同じ境遇すぎるA子とは、当たり前のように仲良くなり(A子は他の子に比べると人との距離がものすごく近かったのもある)、すぐに家に遊びに行ったり、実家なのだが夕飯を頂いたり、泊まらせて頂いたり、はたまた次の日、A子の母が車でバイト先まで送ってくれたり等等・・・


 とにかく短期間でものすごく距離を詰めていったのだった。


 まだまだ子どもで、世間を知らず、だけど子どもでもいられない十八、十九のわたしが、この話の要、お金を“騙し取られた”のは、このA子の、母である。




 この家は、行ってみるとすこし複雑な家で、A子、父母の他に、父親の職場の若い男が一緒に住んでいたりと、なんだかわたしの知る普通とは少し違っていた。

ーーこの父親の職場の男も、のちにA子に聞くところ、彼氏のいるA子と体の関係を持ったことが何度かあるというのだから、今考えても登場人物皆やばめである。ーー


 話は戻るが、このA子母であるが、まず、家庭内の優位で言えば最下位だったと思う。もちろん、わたしが泊まりに行った時はあまり感じなかったように思う(もうあまり記憶にない)のだが、そうでない時は父親がキツくあたり、A子も父親側で母親をぞんざいに扱っていたと聞く。

 そしてこの母、乳癌を患っていた。

 しかし、病院に罹るお金を父親から渡されることはなかった。それなのに、父親やその職場の仲間を車で送り迎えする毎日。乳癌は悪化し、胸から膿みが出てくるのを、ガーゼで抑えることで、自分で応急処置し続けていたのだった。

 すごく重たい話であるが、A子母はこの話を、出会ってさほど時の経っていない、娘と同じ歳のアルバイト仲間であるわたしに話してくれた。

 ふたりきりになることは意外にも何度もあり、何故かというと、それだけお人好しのA子母は、娘は休みでも、わたしだけをバイト先に車で送ってくれたり、それに留まらず、アルバイトが終わる時間に連絡が入り迎えにきてくれたり(話を聞いてほしいといっていた気もする)等、まあたくさん時間はあったのである。



 さて、もともと情に弱いわたし、そんな話を何度も相談され、子どもながらに何かしてあげたいと思うものである。それに加えて、車での送迎を何度もしてもらっているのだ。何かしたいと思うのは当然だ。


 ある日、A子母の乳癌による膿みがガーゼでは抑えきれない程になっていた。A子はバイトのシフトが少なくなっていたように思う。その日の朝も、わたしはひとりA子母に車で送ってもらっていたはずだ。

 病院の先生には来てくれてと言われているが、お金は家族を車で送り迎えするガソリン代に消えてしまうという。


 どういう脈絡か、三万円、貸してほしいと言われた、ように思う。ーーというのは、わたしが自分から言った可能性もあると考えたからなのだが、騙し取られたという意識が強く残っているということは、きっとやはり、貸してほしいと言われたのだろう。ーー


 さてはて、その当時わたしは、休む間もなくアルバイトとして働き(15連勤等していたことをよく覚えている)新たな道へのお金をひしひしと貯めていた時期である。が故に、その時のわたしにとって、三万円は血の滲む金だ。


 だとしても、そんな状況で、いや、金は貸さない等鬼にはならぬ人間である。必ず返す、という言葉を受け、朝から銀行でお金を下ろし、そして渡した三万円。


 娘には絶対に言わないでくれと言われた。
 普段からぞんざいに扱われている娘に、自分の友達に金を借りた等知られたくないとのことだった。



 その後のことは詳しく覚えていない。何度か付き合いもあったかもしれないが、A子は間もなくバイトを辞め、A子母にはメールを何度か送ったり、電話もしたが、反応がないか話を逸らされるばかりで、そのまま連絡が取れなくなってしまったのだった。




 大人からしたら騙し取られても三万円、そんなに大きな金額ではないかもしれないが、当時の死に物狂いで働いて、中退した大学の奨学金や、短大に入る為の入学資金として貯めていたお金は、数千円でも価値が重かったのだから、ショックも計り知れずーー

 A子と連絡が取れたところでもう遅い、A子には何も伝えていなかったのだから、母親が否定すれば金貸しの証拠はない。

 アルバイト先の社員にも相談してみたが、やはり金貸しの証拠が無い以上、後の祭りだ。




 今思い返すと、知り合って間もない友だち(とも言えるか謎だが)の母親に、情からお金を貸す等、無知すぎて、思慮浅すぎて、引っかかる方が馬鹿としか言えないと思うが、

しかし、こんな悲惨な状況にいるA子母を前に、お金を渡す以外の選択肢はわたしにはなかったと思う。



 また、わたしは騙し取られた、という思いが強いものの、A子母は騙し取るというほどの気持ちは無かったかも知れず、そして病状に変わりはないのだからそれだけ必死で、その後も結局金に困ることは容易に想像できる。金を返せなくても仕方がないという風に考えられないことはない。今ならば。


 


 ーーーさて、そろそろ酒も回って眠気が襲ってきているので(文章を書く時は酔っていることが半ば条件のようなものなのだ、わたしにとっては)話をまとめなくてはならない。




 今回学んだことは、ただひたすらに、人に金を貸す時はあげる気持ちで渡すこと。

 そして、知り合って間もなく異常に距離を縮めてくる人間には注意せよ。


 この二点であり、この話を浄化したことで、わたしの心も少しは浄化されるといいのだが。




 さてもう打ち込みながら、半分船を漕いでいる為寝るとしよう。この話を二度と思い出さないくらいに浄化できますように。

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