荻原ゆか という人
前に少しnote書いていたのですが、改めてちゃんと書き始めようと思い、今回から改めてこんにちは!そういえば、自分の詳しいプロフィールってどこにもない…と思ったので、自分紹介を今日はしたいと思います。
ゆるめな文章なので、ゆるーく楽しんでいただけるとうれしいです。
基本プロフィール
1991年、長野県上田市生まれ。父の仕事の関係で数ヶ月で東京へ。池袋・世田谷あたりで住んでいたそうです。そのあと長らく埼玉暮らし。
一人暮らしでは台東区・荒川区と住み、下町が好き。
ニックネームは「おぎゆか」。AKBの子と本名も一文字違い、ニックネームも一緒でややこしいのですが、別人物です。(AKBの方のおぎゆかちゃんもひそかに応援しているよ)
仕事はアートディレクターとデザイナーをやらせてもらっています。2016年よりフリーランス。「暮らしのデザイン」がこれからのテーマです。
好きなもの
おいしいものと、空間と、エンタメと、インターネットで構成されています。広く浅く。基本的にミーハーです。
週7パンでもOKなくらい、パンが好き。あと野菜とスープがあれば完璧。最近はインテリアに凝っています。スポーツも観ますし、アイドルも好きです。描くの忘れましたがテクノロジーと機械製品を追うのはもはやライフワーク。
マイブームはよく変わります。今は「ミュージカル」と「英語」!
苦手なもの
虫はよく夢に出てきて、飛び起きる存在。トマトは何度チャレンジしても食べられません。あの重力を無視するジェル状のタネの仕組みがいつまでも理解できない…
仕事
WEBと紙のグラフィック戦略を行なっています。メディアの設計が得意分野。これからはコンテンツデザインにも力を入れていきたいと考えています。
現在、一緒に未来の「暮らし」をつくっていきたい方々と一緒にお仕事させていただいています。
他にも、イベント企画・開催、商品やお店のブランディング(企画・商品開発)などにも携わっています。
テーマは「暮らしのデザイン」。
仕事内容と過去の事例
現在、WEBメディアを中心に運営・デザインに携わらせていただいています。これからの暮らしを考えるがコンセプトの「灯台もと暮らし」や、日本全国のモノづくりを体感するコトを集めた、新しいセレクトショップ「にっぽん てならい堂」など、「暮らし」の分野を中心に。
以前は明日の朝が楽しみになるような情報をお届けするインスタマガジンの「cocorone」のVIやコンテンツデザインにも携わらせていただきました。
学校に好きでなかったという原体験から、”学び”にも興味がありプログラミング学習サイト「ドットインストール」もお手伝いさせていただいています。
ほか、岩手県遠野市にある「NōTO GENERAL STORE」や、岐阜県美濃加茂市にこれからオープン予定の「MINGLE」の店舗VIのデザインを担当。その他、商品のブランディングなどもやっています。
他に、以前に”週末クリエイター”を支援する取り組みをしていた「きんぎょ女子」のメンバー古性のちさんとよぴこさんと一緒に、日常の小さな好きを集めてエネルギーに変えるコミュニティ「.colony」 の運営。
リトルトーキョーさんに「イベントディレクター」に選出していただき、イベントの企画運営も数多くしています。
まだちゃんと公表していませんが、ひっそりと小松崎拓郎とクリエイティブチーム「白梟舎」を立ち上げました。”暮らしのいまをより良くする”というコンセプトで、メディア運営や商品開発などを行っていく予定です。
お仕事や活動はこんな感じです。
この後は私のこれまでをまとめてみました。少し長いので、ご興味ある方はどうぞ!
今までのこと
小学生時代
とても活発な子どもだったそうです。ドッチボールがすごく好きで、休み時間になればドッチボールをやっていた記憶。
小5の時、転校を経験。前の学校の子と連絡が取れる状態にしたい!という思いから、初めてWEBサイトを立ち上げる。転校先でWEBサイト持ってることが話題となり、友達づくりに苦労せず済む。(WEBサイトプチブームを起こすことに成功)
卒業時に課題つくったアルバムを全てWindowsのペイントソフトでつくったのがいい思い出。
中学時代
1年生から不登校に。家にこもってインターネットする日々。素材屋さんサイトを運営してみたり、人の依頼で素材をつくってたり、ネトゲをやってみたり。アニメ・漫画・インターネット漬けであんまり外にでた記憶がない。友達は好きだったので、たまに学校は行ってた。暇だったので父の書斎の本を読み漁っていて、その中で堀江 貴文さんや藤田 晋さんの本を読みIT業界に興味を持つ。この時一番欲しかったのは、Photoshop。
高校時代
全日制の私立高校に入るも合わず半年で退学。通信制高校に入学し、自由にのびのび過ごす。前の高校が規則が厳しく、髪を染める=非行・勉強できないの理論に納得できず、転校後は反動でまっ金髪に。学校は一度も休まなかった。
新宿・原宿に行くのが楽しみだったり、バンドを追っかけたり、クラブイベントに行ったり、ニコニコ動画の動画つくったり(裏方担当)、外の世界に出て行ったのがこの頃。
大学時代
文化女子大学に入学。今まで美術のびの字も触れたことなかったが、雑誌作りをしたくて造形学科を専攻。これがぴったりハマった。気の合う仲間とものをつくる日々が楽しかった。(結局メディアコースにはいかず、グラフィックデザインを専攻)
ちなみに日本に美大というものがある、というのは大学に入学してから知った。
身の回りのもの一つ一つにロジックがあることに感動し、デザインにのめり込む。
一日中パソコンの前に座ってるの大丈夫という理由と、 デザインなら続けられそう!という根拠なき自信を信じてデザイナーを志す。
IT業界への興味が捨てきれず、大学3年のとき思い切ってITベンチャー企業でアルバイトすることに。学校から近くて大学生アルバイトを募集していた株式会社nanapi(現:Supership株式会社)に、編集のアルバイトとして入社。
とにかく刺激的で、たのしい日々。2年目から社内にいるのにWantedly経由でデザイナーやりたいです、と遠回しのアプローチをしてデザイナーとして勤務させていただく。私をデザイナーにしてくれた場所。人生のターニングポイントを聞かれたらきっとここだろう。感謝しかない。
社会人時代
就活はあんまりせず、大学卒業後はそのままnanapiでフリーターとして働くも、自分の技術力の低さに絶望しこのままだと役に立たないと落ち込み、武者修行の旅へ。
8月に就活をはじめ、株式会社FICCに第二新卒の枠でひろっていただく(ありがたや)。メンターの先輩をつけていただいたり、充実した研修を受けさせていただいたり、たくさん制作させてもらい社会人レベルが上がる。
会社員をやりながら、週末の個人活動としてやっていた「きんぎょ女子」の存在もあり、自社ブランドの運営をしたく自社アプリをつくっているベンチャー企業へ5人目の社員として転職。
南青山勤務生活がキラキラしすぎて、今でも夢だったんじゃないかと思う時がある。南青山の反動で落ち着いた場所に住みたいと思い、住みはじめた台東区谷中が楽しすぎて、“暮らし”を強く意識することに。
なんやかんやあって、25歳のときにフリーランスのデザイナー/アートディレクターとして独立。
以上、ここまで読んでいただいた方お付き合いありがとうございました。
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(最終更新日 : 2018.07)