徳島密航記1999(3)
※この記事は、1999年3月に、当時大学生だった筆者が、大阪から徳島へプロレス観戦に出かけた際に記したルポです。掲載に至ったいきさつは下記のリンク先の記事をご参照下さい。
(1)と(2)はこちら。
6時20分、ホテルを出発。足どりも軽く会場に向かうと、正面入口に列ができている。何だこのごったがえしは! と一瞬いたが、どうも開場直後らしい。しばらく並ぶと、案外すぐに中に入れた。スタッフお揃いの蛍光ピンクのキャップをかぶった兄ちゃんが、半券をもぎってくれる。そういえば、この兄ちゃん、昼間に当日券の在り処を聞いたジャージの丸坊主じゃないか?ということは、やっぱり愚乱・浪花ではなかったのか・・・。少しがっかりしたが、よく考えてみると、浪花、昼間にサスケ達と一緒にバスから降りてきてたじゃないか。その時点で別人だって気付けよ、おい。
パンフレットが欲しかったので売店を探すが、ロビーには見当たらない。喫煙所は早くも白いもやがかかっている。とりあえず自分の席を探すか、と2階へ上がると、いきなり下の試合場の一角に売店を発見。早速降りてみる。が、私が降りていった階段、どうも一般客用の通路ではないらしく、どこも異常な人口密度の会場内でここだけ人が全くいないし、例の蛍光ピンクの兄ちゃん達も立っていない。でも、誰も何も言わないしいいか、と勝手に自己完結すると、売店に直行する。すげえ人だかり…でも、こういう時こそ私のチビさ加減が役に立つのだ。おしくらまんじゅうする野郎どもの隙間をかいくぐり、「パンフ1000円」の文字を見つけると、さらに人込みをくぐって迷わず突入する無法者の私。鞄に手を突っ込んで財布を探っていると、やたら大声の呼び込みの声が嫌でも耳に入ってくる。その呼び込みの正体は、既にレフェリーの恰好をしたテッド・タナベだった。ついでだし、テッド・タナベから買っちゃおう、と声をかける。
「すいませーん、パンフ一部くださーい」
応答なし。再度チャレンジ。
「すいませーん!」
「あ、ハイハイ」
「パンフ一部下さい」
「ハイ、1000円ね」
夏目さんとパンフを交換。
「ありがとー」と言うと、
「ハーイ、ありがとうございまーす」
他の野郎どもに対するより、愛想がいい。女の子だったからか?少々自意識過剰気味だが、ラッキー。
さて、2階に戻るか、とその前にちょっと土産になりそうなものでもないかしらと売店を見回してみる。売り場が2つあって、テッド・タナベがいる売り場の横に、手やみちプロのグッズを売っている所がある。そこに、不気味なものを発見してしまった。耳なし芳一のように全身に般若心経を書いた、新崎人生の恐らく等身大の人形…。この姿でマットに上がったこともあるのだろうか。プロレス暦中抜け4年の私には分からないが、これはかなり不気味だった。その不気味人形の隣に、何と本物の新崎人生の姿が! 黙々と下を向いてポスターにサインをし続けている。思ったより小さい。背を丸めて書き物をしているからか。何か…おっさんじゃないか、普通の。しばらく観察するが、ポスターを買うわけでもないので、潔くその場を離れ、お茶を買い、さっきの階段を使わずに、正当なルートで2階に上がる。しかし、罰が当たったというか、やっぱりと言うべきか、私は後になってあんな感想を持ったことに対して深く反省することになるのだが・・・またそれは試合が始まってから書くことにする。
席につく。赤コーナー側。けっこうよく見えるのでホッとする。試合開始まで少し時間があるので、パンフを眺める。「本日のカード」のハンコが見にくいこと。押し方がちょっと適当すぎるような気がする。所々選手の名前が抜けているのは、ハンコがなかったからだろうか。それにしては、メインの「第八十八番札所」のハンコはちちゃんとあった。滅多に使うものじゃなかろうに。でも、サスケがNWAミドル級のベルトを巻いてる写真のすみっこに、闘龍門のストーカー市川がちっちゃく写っているのに笑ってしまった。このタイトル戦、闘龍門のリングで行われているわけだし、相手はマグナム・トーキョーだったんだから、ストーカーが写ってても別におかしくはないのだが、何といってもあのブラックデビルそのまんまのお姿である。その姿のままセコンドについているのである。おまけに自分の試合の時にはついていない大きな耳までつけているのである。写真には、ちゃんと泣き崩れるマグナム・トーキョーの頭も写っているのだが、やっぱり目に入ってくるのはあの黄色い耳…。プロで「犯罪のインパクト」と書かれただけのことはある。いっぺん闘龍門を見てみたいなあとしみじみ思う私であった。
さて、試合開始前に、この日の対戦カードをおさらい。
△20分一本勝負
ビーフ・ウェリントンvsペロ・ルッソ
△ネオ・レディース提供試合 30分一本勝負
チャパリータASARI vs 遠藤沙矢
△6人タッグマッチ30分一本勝負
コスモ☆ソルジャー(レッスルファクトリー)
ピロト・スイシーダ
フライングキッド市原(FMW)
vs
月岡明則 (IWAジャパン)
ザ・コンビクト
サスケ・ザ・グレート
休憩
△6人タッグマッチ一本勝負
パブロ・マルケス グラン浜田 タイガーマスク
vs
愚乱・浪花 ザ・グレート・サスケ TAKAみちのく (WWF)
△第八十八番札所・時間無制限一本勝負
新崎人生vsアレクサンダー大塚 (格闘探偵団バトラーツ)
以上5試合。人生は全日本の試合で何度かテレビで見ているし、一度生で観戦したこともあるのだが、他のレスラーの動いている姿は初めて見ることになる。そして。いよいよ、試合開始。
第一試合。ウィリーさんことビーフ・ウェリントンの入場曲は何故か英語版「ヤングマン」だった。対するペロ・ルッソの方は大きな骨など振り回しながら入場してきたかと思うや、その骨で早速ウィリーさんに殴りかかる。怒ったウィリーさん、いきなりルッソを場外に放り投げ、その勢いのまま客席に突っ込んでいく。この時点で、私は2階席を取ったのは正解だったな、と思った。以前に別の団体で1階の最前列で試合を見たことがあるのだが、その時は椅子がなく地べた座り方式だったので、場外に来たとみるやすぐさま立ち上がって逃げることができた。しかし、今回は1階も椅子席である。しかもパイプ椅子。これを担ぎ上げて逃げなければならないのか? 反射神経のあまり良いとはいえない私は決定的に不利だ。そういえば、隣に座っていたサラリーマンらしき2人組も、場外が慌てふためく度に「2階でよかったなー」と頷きあっていた…いかん。ウィリーさんであった。ヨネ原人と名(迷?)勝負を繰り広げていたらしいこの人、ヨネが引退してもまた新たな原人(だって、パンフに載ってるペロ・ルッソの肩書って「アメリカのヨネ原人」なんだもん)が現れて、よほど原人づいているのだなあ、などと全く勝負とは関係のない事を考えているうちに、早くもリング上では決着がつきかけていた。「オワリ」と日本語で呟いて、アマレス式のコスチュームの肩紐を外ずウィリーさん。しかしカウント2で返されるや、また肩紐を戻してしまう。もう相手はひっくり返ってるのに。結局もう一度紐を外して押さえ込んだウィリーさんの勝ち。ペロルッソはしばらく頭を抱えて動けなかった。
ここで、試合前に書いておくべきだったが、言い訳をひとつ。さっきも書いた通り、私のプロレス観戦は本当に短い。しかも普段は雑誌専門であるため、ぱっと見ただけで技の名前を言い当てるなんて芸当は、かなり分かりやすいものでないと出来ないのが現状である。なので、詳しい試合内容についてはプロレス専門誌を見た方が早いし正確だし、ここではいちプロレスファン (しかも素人に近い)のごく個人的な感想を書かせてもらうことにする。
ちなみに、これを書いている現在、私の手元には、この大会の記事が掲載された「週刊プロレス」904号がある。試合後に一応メモは取ったが、それだけではとてもカバーできていない部分が多いので、以後この週プロ904号の記事を参考にしていくのを了承願いたい。また、先のウィリーさんの試合については何故参考にしなかったかというと、その試合が週プロ904号には載っていなかったという単純な理由からである。
何やらここだけ堅苦しい文面になってしまったが、試合に戻ろう。お次はネオ・レディース対決。女子の試合を生で見るのは初めての私は、入場時のコスチュームのど派手さにまずびっくり。それから、いきなり体操選手のように側転バック転バック宙 (と共に蹴りか?)と飛び回るチャパリータASARIに度肝を抜かれる。負けじと飛ぶ遠藤沙矢だが、ASARIの足4の字固めが決まると(これだったら私にも分かる)「痛えよぉ〜」と会場中に響きわたるでっかい声でわめく。「いてぇなコノヤロー」とASARIの頭をはたいたりしてみるが、ますますきつく絞られたりして、何か好きだな、この遠藤っていう人。結局、得意 (らしい、というのはよく知らないから分からないんだけど)の飛び技(スカイツイスタープレスというそうだ)で遠藤を沈めたASARIの勝ち。しかし、けっこうタフです、この人達。女子も面白そうだな、と素直に思った。団体は違うけど、一度「へな」広田さくらとかおばっち飯塚とかも見てみたいのだ。
第3試合の6人タッグ。ふるさと選手の月岡と市原がマスクマン達と共に登場。でも、何故かニセサスケのあまりの線の細さに気をとられてしまう私。コスモ☆ソルジャーとピロト・スイシーダの区別が試合中盤くらいまでつかなくて苦労するし、ザ・コンビクトはあの巨体を揺らしてバック転するし、見てる方も忙しいな、6人タッグは、少し楽しみにしていたニセサスケはあんまり飛ばなかった。ちょっとやられるとすぐにマットをつーっと滑ってエスケープしちゃうし。でも月岡のアシストはきちんとやっていた。ご当所だからな、月岡。同じく地元民の市原もよく飛んでいた。最後はムーンサルトで市原が月間をフォール。でも、この試合の印象があまり残っていないのは何故だろう? 単に私の知っている選手が少なかったというのもあるが、飛んでくれるだろうと期待していたニセサスケが月岡のアシストに(しかもキャラクターはルードなので椅子とか持ち出して)回っちゃったからかもしれない。そして、私が徳島県民じゃないから、ご当所レスラーに肩入れできなかったのもあるんだろうな、と、熱くなってる周りを見ながら、少しさみしい思いをした試合であった。
しばし休憩。煙草を吸おうと喫煙所に行くが、たむろする観客のマナーの悪いこと外では地面にガムやら空き缶やら投げ放題だし、燃えるゴミの所に煙草の吸殻(しかもまだ燃えてる)捨ててるし、そこら中に唾吐くし。前に、週刊ゴングの読者のページにそんなことが書いてあったのを見た覚えがあるが、確かにそのとおりだと思った。短い休憩の間に一斉に吸うから、喫煙所の周りが真っ白になってしまうのは、喫煙者の立場からすると少し勘弁してやってほしい気にもなるのだが、それもやっぱり気分のいいものではないし…。今度から、試合が全部終わるまで煙草は我慢しようと反省。まあ、私一人がそんなことを思ったからといって事態が良くなる訳でもないのだが。ホワイトアウトした空間をかいくぐってオレンジジュースを買い、席に戻る。
試合再開。6人タッグ。正直な話、サスケが飛ぶ姿だけが見たかったこのカードだが、意外や意外、TAKAみちのくがあんなにかっこよかったとは…。タイツは変だけど。試合開始直後、「浪花」コールに対抗して「サスケ」コールが客席から起こると、レフェリー、テッド・タナベが「俺は?」という表情。ノリのいい、というか気の優しいお客さん達から「テッド」コールが起こると、調子に乗って上着を脱いでポーズを決めるテッド。それを見るや一斉に帰ろうとするTAKA達。慌てて止めるテッド。好きだ、こういうノリ。でも、やっぱりテッドはでぶちんだった。
子供たちからのサスケへの声援が多い。やっぱりサスケは子供たちの英雄なのだ。こういう時、SASUKEからザ・グレート・サスケに戻ってくれて本当によかったなと思うのである。あの一連のみちプロ分裂騒動の間、毎週少し気に留めながら記事を読んでいた。みちプロを全く知らない私がそうなのだから、ずっとみちプロを応援し続けてきた人達は心配で仕方なかっただろう。最後はとても良い結末とはいえない事態になってしまったけれど、起こってしまったことは仕方がないのだ。失ったものをこれからどうやって取り戻すか、いや、また新しい何かを打ち出していかなければ…あ、はからずも、プロレス人みたいな物の書き方になってしまった。まあ、そんなわけで東北の英雄に戻ったサスケに素直に拍手を送りたかった私なのだが、この日はどうもTAKA・浪花・タイガーの若手陣の勢いにサスケが押されてしまっているみたいだった。グラン浜田はとても大きな娘がいるとは思えないくらいに元気だったけど(余談になるが、娘の浜田文子ってどうしても17歳には見えない)。浪花は「サスケ、来いやー!」などとやたらサスケにつっかかっていくし、TAKAはすっごく嬉しそうに(少なくとも、私にはそういう風に見えた)好き放題悪いことやってるし。結局試合はTAKAがマルケス (そういえば…TAKA達に気を取られるあまりに、この人全然見てなかった・・・ゴメンナサイ)を押さえ込んで3カウント。その後でTAKAの「俺が帰ってきたからには、この俺がみちプロを面白くしていくからな!」というマイクアピールを、帰って行く背中で聞いているサスケが印象的だった。
メインの前に、何やらリングアナが喋っているのだが、この人、はっきり言って滑舌があまりよくないので、よく集中しないと何を言っているのか分からない。で、必死になってヒアリングをしてみると、ここで、馬場さんへの追悼の10カウントゴングを鳴らすらしい…。一同、立ち上がって黙祷。まさか自分がこの黙祷の中に入れるとは思っていなかったので、少し有難く思った。けれど、人が死ぬ、ということに全く免疫を持たずに育ってきた私は、やっぱり鳴り響くゴングの音に涙腺を刺激されてしまう。それに、あのゴングの残響は、小さい頃、じいちゃんのお寺で鳴らしたの音によく似ているのだ。その昔、ノンプロの野球選手だったじいちゃんも、巨人のピッチャーだった馬場さんも、もうこの世にはいないのだ。お寺も他の人の手に渡ってしまったから、そして馬場さんのお別れ会の会場は東京で、金のない私はそんな遠くまでは行けないから、あの鐘の音を聞くことも、もうおそらくないのだ…。思わぬ感情移入に本気で涙を流しそうになってしまったが、必死でこらえる。
突然私事で恐縮です…よし。見るほうにも嫌でも気合が入る、メインに突入だ。
【24年後の筆者より】
・相変わらず多方面に失礼な物言いです。ましてや人生選手に対しても…。後できっちり反省させますので、どうぞご容赦下さいませ。
・「アンタ、白使を知らんかったんか…!?」と我ながら驚愕。そして、「耳なし芳一のように」云々とのたまってますが、アンタ、いずれその「芳一」を弾き語るようになるんやぞ。私が琵琶に出会うのは、もうしばらく経ってからのことです。
・ようやく試合が始まりました。さすがに四半世紀近く経つと記憶もおぼろげです。そんな中、チャパリータASARI選手の、小さな体からは想像できないほど高さのある空中殺法は鮮明に覚えています。かっこよかったな~。
・この年の1月31日、ジャイアント馬場さんが亡くなりました。その2年前、私は祖父を失くしています。祖父は若い頃、今でいう社会人野球のキャッチャーとして家族を養い、その後出家して山奥のお寺の住職を務めた、なかなか謎の経歴の人でした。