「なに笑ってるんだ」と言わないで……僕とジョーカーの〈失笑恐怖〉
そういえば映画『ジョーカー』は撹乱的な映画で、「ジョーカーは自分だ」と簡単に言えてしまう映画ではなかった。
主人公アーサーが突発的に行った殺人を、メディアが「富裕層への反発」という解釈に落とし込み、人々がそれに(勝手に)共感し、それがカスケード現象を生むというこの映画では、人々は「真実」にたどり着かないし、それを探ることもままならない。それどころか、ラストシーンでのアーサーの語り口によって、それまでの心理解釈的なストーリーさえも、全て「事後的に作られたフェイク」である可能性も示唆されている。親切にも、この映画への解釈だって取扱注意なのだという「読み」を忍び込ませている。
それでも、ホアキン・フェニックスの悲壮感漂う表情によって、アーサーの不遇さに対するシンパシーが強調されることも間違いない。彼は、唐突に笑ってしまうという症状を抱えている。アレルギー反応でくしゃみが止まらないように、彼の「笑い」は身体的な突発反応であって、何かがおかしいわけではないと説明されるが、「無理解な」人々には、「場違いで誤ったコミュニケーション」だと思われるのだ。作中では病名は明らかになっていない。何かしらの情動調節の障害(*1)だろうか。わからない。
本人の意に反して笑ってしまい、コントロールできないという症状を、僕もしばしば経験する。「ジョーカーは自分だ」などとは思わなかったが、「アーサーも難儀なんだな」と、個人的に共感を強める仕掛けにはなっていた。
僕が抱えているのは、<失笑恐怖症>と呼ばれるものに近い。対人恐怖症(社交不安症)の一種で、緊張に対する防衛反応と捉えられてもいる。
僕の症状が難儀なのは、日常生活の中では何も問題ないのに、仕事の本番中にだけ、笑いが込み上げてくることだ。
テレビやラジオの生放送。真面目なニュースについて解説しているとき。頭の中に「このセット、アナウンサーとの距離やたら近いな」とか「カメラマンがやけに鼻をすするな、花粉症かな」とか、マルチな認知が頭の中を駆け巡って、自分が話していることに集中できなくなる。あるいは、「真面目なニュースにコメントしている自分は、今日はオレンジ靴下を履いてきたなぁ」とか「このあとラーメン食べたくなりました」とか、無関係な雑念が湧いてくる。いかん、集中集中と自分に言い聞かせるも、そのシチュエーションそのものへの違和感が膨らんでくる。
「集中しなくては」「短い時間で話さなくては」という緊張が高まるにつれ、突発的な身体反応として、「笑い」が込み上げ、表情が崩れそうになる。それを抑えるため、人と目をあまり合わせず、モニターに向かって淡々とコメントをするというような仕事ぶりが、この夏ころは続いてしまった。自分としては、コメントのクオリティが万全でないことも気になり、次の収録の場においても、「また笑いが出てきたらどうしよう」と、さらなる緊張の種にもなってしまっている。
「真面目なニュースを話しているのに、何ヘラヘラしてるんだ」ーー。症状が出たら、きっとそう叱られるだろう。この認知もまた、ストレスの素である。
<失笑恐怖症>(Nervous laughter)で医学論文データベース(Scopus, Pubmed)検索しても、文献はゼロ。医学的に明確な定義や診断基準は確立されていない。確定診断でもないので、先ほど「<失笑恐怖症>と呼ばれるものに近い」という書き振りになった。僕が認知行動療法(CBT)を行なっている、かかりつけのセラピストも、ピンポイントでの対処法というものは持ち合わせていなかった。診断名はともなく、ひとまずはどういう状況に<失笑反応>が出がちなのかをモニタリングしようということで、ストレッサーを絞っていった。
それでも、症状はある程度緩和された。「最初に笑っておく」「笑いそうになったら先回りして笑う」「笑ってもいいやと開き直る」「症状を簡単に周囲に説明しておく」「ルーティンの動作を決めておく」といったやり方のどれかが効いたのかもしれない(*2)。完璧ではないが、だいぶマシである。
*
そういえば、と思い出す。子供の頃から、表情の作り方について、何度も説教されてきた。小学校の教諭が何かの指導をしている時、こちらの表情が気に食わないようで、「何むくれてるんだ」「なんだその顔は」と叱られた。こちらとしては反発心のようなものがあったわけではないのだが、「心から反省していない顔」だと捕らえられたようだ。
いじめの場面においても、表情が気に食わないといった絡みを、しばしば受けた。相手の表情や態度が気に食わないから罰を与える。こうした認知・介入のことを、いじめ研究者の内藤朝雄は「表情罪」「態度罪」と名付けていた。
「表情罪」「態度罪」を指摘され続けた結果、「正しい」身振りができているかどうかを、ビクビクしながらモニタリングするようになった。感情を出すのはいけないことだと適応し、表情は着飾るものだと学ぶ。状況にあった表情や態度であることを、僕らは暗に査定し合う。その査定の作業が面倒だとして、人付き合いを避けたりもする。
表情も態度もコミュニケーション手段でもある以上、僕たちは努力して、あるべき振る舞いに適応しようとする。でも、表情や態度は、コミュニケーション手段だけでなく、独特の身体反応や心理反応でもある。それを過剰に封じ込めるのもストレスだし、誰もが、「正しい」表情や態度に適応できるわけではない。
テレビに映っているタレントさんたちは、「TPOにあった表情や態度を作るプロ」が多い。ワイプで抜かれた時のリアクションとか、本当にすごいなと思う。
他方、もしかしたらメディアで見かける人の中に、僕みたいな失笑恐怖症の人など、表情・態度の面で「む?」と思われるような人もいるかもしれない。「む?」と思ったその時。ほんのちょっとでもいいから、その表情・態度の不適切さを難じる以外にも、「なんでかな?」と立ち止まってくれる人がいてくれると、ありがたいなと思う。
最後にジョーカー繋がりでふと。先日、東京コミコン2019が開催された。今年はコスプレ参加をすると決めていたので、『スパイダーバース』に登場した白黒スパイディ、スパイダーマンノワールの衣装を作って参加した。
マスクを着けることの心地よさはすごかった。レイヤー同士のリスペクト感が強く、写真を撮る時もとても気持ちよかった。
学びも多かった。タイツヒーローは、汗臭なる衣装を自分でメンテナンスしなくてはいけないことも体感した。サム・ライミ『スパイダーマン2』では、スーツの洗濯に失敗し、色落ちさせてしまうピーター・パーカーの姿も描かれている。あれはリアルだ。ジョーカーの宿敵、ブルース・ウェインだってきっと、バットマンの衣装を脱ぐときは「うおお、蒸れた!暑い!アルフレッド、シャワー浴びるわ!」とか言うんだろう。
会場では、みんな僕のことを、「スパイダーマンノワール(のコスプレをした人)」と捉えていた。普段の自分とは違う姿になれるということも、大きな喜びであった。仕事の上での「表情コスプレ」に疲れた自分を、マスクは解放してくれた。なんなら時々、テレビに出るときなんかも、マスクして出演できないかなーと思ったりする。それはそれで、衣装のTPOに合わないんだろうけれど。
【補足資料】
*1
なお、「失笑恐怖症」以外に、場面に沿わない「不適切な笑い」が生じる医学的な鑑別診断としては、神経変性疾患や頭部外傷に併発する情動調節障害(Pseudobulbar affect)や、てんかん発作や視床下部腫瘍がある。Inappropriate Laughter and Behaviours: How, What, and Why? Case of an Adult with Undiagnosed Gelastic Seizure with Hypothalamic Hamartoma
Nina L Beckwith, Jaclyn C Khil, Jason Teng, Kore K Liow, Alice Smith, Jesus Luna
Hawaii J Med Public Health. 2018 Dec; 77(12): 319–324.
*2
Sam Thomas DaviesがStep by Stepで克服方法を紹介している。ただし出版論文はない(https://www.samuelthomasdavies.com/how-to-stop-nervous-laughter/)
(概要)4ステップで克服しよう
1. Identify the routine(routine=笑いのこと。意識しないと変えられない。笑うのではなく、もっと良い習慣に変えよう。)
2. Experiment with rewards(実験してデータを集めるのだ。笑うのではなく、うなずいたり、微笑んだり、聞き返したりしてみよう。)
3. Isolate the cue(以下を同定しよう:いつ、どこで、どんな感情の時、誰がいるとき、直前の行動は何か。)
4. Have a plan(実現する意志を持とう。もし【こういう状況】なら、私は【この行動】を行う。と決めよう)
リサーチ協力:増田史(精神科医、NPO法人「ストップいじめ!ナビ」特任研究員)
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